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【東京】

<東京人>明治を支えた幕臣・賊軍人士たち 西洋の思想 身につけ

明治5年、日本における西洋料理の草分けとして開店した築地精養軒(現在の中央区銀座5丁目、明治44年撮影。中央区立京橋図書館所蔵)

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 薩摩・長州藩は明治維新を成し遂げた歴史の勝者。そんなイメージが強いかもしれません。もちろんそれは確かでしょう。しかし敗者である幕府の人材なくして、明治という新時代は成立しませんでした。とくに幕府が蓄積していた西洋の学問(洋学)のレベルは他藩と比べても圧倒的に高かったようです。

 一八五六(安政三)年、幕府は江戸城田安門(重要文化財)近くの九段下に、洋学の教育研究機関として蕃書調所(ばんしょしらべしょ)(後に開成所と改称)を創設します。ここで学び、教壇に立った人々の多くが海外留学を経験しており、西洋の文化や思想を身につけました。

 七三(明治六)年、アメリカから帰国した若き外務官僚、森有礼が中心となって日本初の学会「明六社」が生まれました。創立メンバーは、西村茂樹、西周、津田真道、中村正直、福沢諭吉、杉亨二、加藤弘之、箕作秋坪、箕作麟祥ら著名な学者たち。彼らはしばしば西洋料理店で会合を行い、七二(明治五)年に開店した築地精養軒などにも通っていました。

 また早くから洋書の輸入を企図していた福沢諭吉は早矢仕有的(はやしゆうてき)に書籍販売業を勧め、明治初年に丸屋商社(後の丸善)が誕生。その日本橋店は今も同じ場所で営業しています。いわゆる「丸善の二階」は洋書の集積地として知られ、若き学生や作家たちが足しげく通っていました。十九世紀末から二十世紀初頭の西洋思潮はここから広がっていったのです。 (後藤隆基)

 「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部が、2月号の記事をもとに都内各地の情報をお届けします。問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。

 

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