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【東京】

<東京人>上野の「万博」フィーバー 明治を支えた幕臣・賊軍人士たち

方円舎清親著「内国勧業博覧会之図」(明治10年作、国立国会図書館提供)

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 ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館が世界文化遺産に登録され、パンダのシャンシャン(香香)が誕生…。上野公園は今、フィーバーに沸いています。ここで一八七七(明治十)年、日本版の万国博覧会ともいうべき「内国勧業博覧会」が初めて開催されました。大久保利通が推進した、西洋技術の紹介と国内産業の競争・発展をめざす一大イベントです。

 五一(嘉永四)年の第一回ロンドン万国博覧会以降、世界は「万博の時代」。内国勧業博覧会は、明治政府が初めて公式参加した七三(明治六)年のウィーン万博を手本に企画されました。約十万平方メートルの会場に美術本館、農業館、機械館、園芸館、動物館が建設され、全国から六部(鉱業および冶金(やきん)術、製造物、美術、機械、農業、園芸)の出品物を収集。期間中、四十五万人以上の来場者数を記録します。

 第二回(同十四年)と第三回(同二十三年)も上野公園で開催。八十二万人、百二万人と来場者が増え、各地で誘致運動が始まりました。

 第四回(同二十八年)は京都建都千百年の記念事業として京都市岡崎公園で開催。第五回(同三十六年)は大阪の天王寺が選ばれ、鉄道網の発達も相まって、最大かつ最後の内国勧業博覧会となりました。

 幕末の上野戦争(慶応四年)で散った彰義隊に思いをはせ、西郷さんの銅像を眺め、博覧会が催されたころの風景を想像しながら上野を歩くのもいいかもしれません。 (後藤隆基)

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 「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部が、2月号の記事をもとに都内各地の情報をお届けします。問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。

 

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