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【東京】

壮絶な出動体験伝える 尾久初空襲76年 荒川で講演

消防職員らに語りかける加瀬勇さん=荒川区で

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 太平洋戦争で米軍機が一九四二年に初めて本土を襲ったドーリットル空襲で、最初に爆弾が落ちた荒川区東尾久の「尾久初空襲」から十八日で七十六年。戦時中、年少消防官として採用された加瀬勇さん(92)=千葉県習志野市=がこの日、東京大空襲の壮絶さを同区の尾久消防署で講演し、消防士ら署職員約六十人が耳を傾けた。 (中村真暁)

 年少消防官は、出征で足りなくなった消防士を補充するため採用年齢を引き下げた消防職員で、加瀬さんは十代で一九四四年に当時の警視庁消防部に入庁。城東区(現在の江東区の東側)を管轄する城東消防署に配属された。

 四五年三月十日未明、荒川区を含む下町一帯を襲った東京大空襲の際は、ポンプ車に乗って同僚と出動するも、辺りは火の海に。講演では、「想像に絶する生き地獄。小さい子どもを連れた母親が助けを求めにきたが、助けられなかった。あの親子は今も忘れられない」と回想。同僚も散り散りになり、加瀬さん自身は命からがら逃げ延びるも、全身に大やけどを負ったと説明した。

 「消防や警察の仕事は、いつ何が起きるか分からない職場。災害などでも、人を助けることを頭に入れないとならない」と「後輩」を激励。尾久初空襲にも触れて、「管轄内で、こういう空襲があったということを覚えていて」と呼び掛けた。

 講演は、尾久消防署が職員に地域の史実を知ってもらおうと初めて企画した。

 米陸軍ドーリットル中佐率いるB25爆撃機は一九四二年四月十八日に、首都圏のほか、名古屋、大阪などを空襲。現在の荒川区の尾久橋付近で、最初に爆弾が落とされた。

 

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