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【東京】

<東京の城景>(4)世田谷城(世田谷区) 没落の名家と謎の姫

住宅街にある世田谷城址公園。土塁や堀跡が残る=世田谷区で

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 ずらりと並ぶ置物の前で外国人観光客が「ベリークール」。世田谷区の豪徳寺は、招き猫発祥の地として有名だ。寺の由来によると、猫との関わりは江戸時代の初めにさかのぼる。

 彦根藩二代藩主・井伊直孝が門前を通りかかると、猫が手招きしていた。不思議に思い寺に入ると、激しい雨が降りだし雷が落ちた。猫のおかげで難を逃れたと直孝は感謝。以後、寺は井伊家の手厚い保護を受ける−。

 大河ドラマ「西郷どん」のヒール役、大老・井伊直弼(なおすけ)の墓もあり歴史ファンの来訪が多い場所だが、江戸時代より前のことは案外知られていない。一帯は室町時代から戦国時代、将軍・足利家の血を引く吉良氏が八代にわたり居城とした。

招き猫発祥の地とされる豪徳寺=世田谷区で

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 世田谷吉良氏は「忠臣蔵」で知られる吉良上野介(こうずけのすけ)が出る三河吉良氏の親類にあたる。「足利一門の中でも特に家格が高かった」。区立郷土資料館の担当者は話す。室町幕府の関東統治機関・鎌倉府の儀礼作法を記した「鎌倉年中行事」が「吉良氏に路上で遭遇したら下馬せねばならない」と定めたほど。城は「世田谷御所」の異名もあった。

 七代目当主の吉良頼康が権勢を誇る。所領は世田谷区だけでなく現在の港、品川、目黒、大田区、川崎や横浜市などに及んだ。

 頼康をめぐる、奇妙な伝説がある。多くの側室がいた頼康は家臣の娘である常盤(ときわ)姫を特に寵愛(ちょうあい)した。やがて姫は身ごもるが、ねたんだ他の側室たちが不義を働いたとうわさを立てる。真に受けた頼康は常盤姫を討つように命じる。姫は追っ手に討たれた、あるいは自害したとも伝えられる。

 江戸時代中期より前、世田谷地域の説話をまとめた「名残常盤記(なごりのときわき)」にある。物語の背景は何か。姫を埋葬したとされる常盤塚の保存会事務局、鈴木新(あらた)さん(44)は「『お家騒動』が伝説に変わっていたことが考えられる」と言う。

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 史実では、頼康には実子がいたが、北条氏綱の娘・崎姫の子氏朝(うじとも)が養子となり跡を継いだ。「享徳の乱」に始まった東国の混乱に乗じて勢いを増す北条氏の軍門に下っていく吉良氏の悲運が、謎の姫の物語に重ねられたのかもしれない。

 伝説では、姫は死の直前、シラサギの足に遺書を結びつけて放つ。遺書を見た頼康は真実を知るが、すでに遅かった。サギに似た白い花をつけるサギソウは、世田谷区の花になった。 (増井のぞみ)

◆世田谷吉良氏と常盤姫ゆかりの場所 世田谷城址(じょうし)公園は東急世田谷線宮の坂駅から徒歩5分。吉良頼康が社殿を造営した世田谷八幡宮は「勝負の神様」とされる。吉良氏の菩提(ぼだい)寺・勝光院に「吉良氏墓所」がある。常在寺にある常盤姫の墓は「吉良御所奥方」と彫られた文字が読める。駒留八幡神社は、姫のおなかで亡くなった頼康の子にちなみ「若宮八幡宮」と呼ばれる。姫の実家・奥沢城跡の浄真寺の区立鷺草(さぎそう)園で7〜8月にサギソウが咲く。

 

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