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【東京】

<東京の城景>(5)八王子城(八王子市) 戦国時代の幕引き

古道から望む御主殿跡の虎口(右奥)=八王子市で

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 「典型的な山城」「築城時の様子をそのまま残す」「戦国時代の幕を引くきっかけになった戦があった城」−。そんな評価から日本城郭協会の日本百名城に選ばれた。

 小田原北条氏の三代目当主・北条氏康の三男氏照が、深沢山(四四六メートル)の地形を生かして一代で築いた。築城の始まりは一五八二年以降とする説が有力。氏照は八七年ごろまでに、同じ八王子市内にあった滝山城から拠点を移した。

 滝山城は城と麓との高低差が約四十メートルだったが、八王子城は約二百メートルあった。八王子城のボランティアガイド須永克弥さん(77)は「滝山城は、鉄砲戦に弱かったといわれている」と移転の理由を解説する。

 八王子城は大まかに、城下町に当たる「根小屋地区」、氏照の館などがあった「居館地区」、戦闘時のとりでの「要害地区」に分かれる。ビュースポットは、麓にある居館地区の御主殿跡だ。

曲輪から見下ろした斜面。細い山道を登る敵を上から攻撃した

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 表門の大手門跡から古道を進むと、城山川の対岸に御主殿跡の出入り口の虎口が見えてくる。須永さんによると、北条氏は八王子城の築城前とみられる時期、織田信長が完成させた直後の安土城へ使者を派遣した記録がある。「安土城と虎口の形態や道の幅が一致しており、参考にしたと考えられる。中世の山城であり、近世の城の要素も取り入れているのが八王子城」と指摘した。

 要害地区は、急斜面を切り開いた曲輪(くるわ)をひな壇状にするなど、山頂の本丸に向かって攻め上がる敵を次々に倒す工夫が随所に見られる。曲輪を配置した下の細い山道を通る敵の隊列は縦に伸びるしかなく、上からの攻撃を容易にした。

 九〇年六月二十三日、関東制圧に乗り出した豊臣秀吉配下の前田利家・上杉景勝の大軍に攻められた。精鋭を小田原城に派遣していた八王子城は激しく応戦したものの一日で落ちた。利家の遺言状に、八王子城での戦いを指すとみられる文言があるという。須永さんは「一生の間にたくさん戦をした男が、死ぬ間際に思い出したくらいの激戦だった」と想像する。

 八王子城が落ちて戦意を喪失した北条氏は滅亡に向かい、秀吉は天下統一を果たして戦国の世は終わりを迎える。山の自然を楽しみながら戦国のはかなさに浸る絶好のスポットだ。 (萩原誠)

 =おわり

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 ◆八王子城跡 JR中央線高尾駅北口1番バス乗り場から西東京バスで「霊園前・八王子城跡入口」バス停下車、徒歩約20分。土日祝日は、城跡麓の駐車場東側にあるガイダンス施設近くのバス停「八王子城跡」行きバスが利用できる。御主殿跡までのボランティアガイドは、年末年始を除く午前9時〜午後3時に受け付けている。

 

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