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【東京】

江戸時代の江戸川区に「堤と遊水地確認」 郷土史研究の関口さんジオラマで再現

独自調査を基に江戸時代の堤などを再現したジオラマを手作りした関口さん。赤色などのカラーシートが覆った部分が遊水地=江戸川区で

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 江戸川区総合文化センター(中央四)周辺には、水害に備えた堤や遊水地が江戸時代にあった。こんな研究結果を郷土史を研究する元会社員、関口昌弘さん(64)=同区松島=がまとめた。西日本豪雨など毎年のように水害が起きており、関口さんは「子どもたちに地元の洪水や、忘れ去られた堤の歴史を伝えたい」と、当時を再現したジオラマを作成、二十一日に区内の催しで披露する。 (飯田克志)

 関口さんは、八年にわたって明治時代の地図や江戸時代の古文書を分析し、現地を歩いて調査。一八八〇(明治十三)年の地図「迅速測図」には、センター西側の小松川境川、東側の千葉街道などに、堤を示す記号があった。名主だった地元旧家の古文書では、江戸時代の一八三八(天保九)年に堤や遊水地の存在を示す記述を確認。堤があった場所で、名残と思われる段差を発見した。

 二つの堤は、センターの南にある区役所近くの交差点「八蔵橋」の辺りで、その間隔が一端狭くなり、下流は堤が三つになる。関口さんは堤に挟まれた場所は、洪水の水を一時的にため、氾濫の拡大を防ぐ遊水地だと見ており、遊水地三カ所で東京ドーム六・五個分ほどの広さと分析。「洪水の規模に対応できるよう高度な治水技術で工夫されている」と指摘する。

 今回の研究は、趣味の街歩きの際、同区本一色で「水塚(みづか)」と呼ばれる蔵を見つけたことがきっかけ。洪水時の避難場所として、江戸時代に盛り土した場所に建てられた建物に興味を持ち、昔の水害対策を調べ始めた。水塚は老朽化し、関口さんは「洪水の歴史を忘れないためにも何らかのかたちで保存できれば」と訴えている。

 ジオラマは二十一日、タワーホール船堀(船堀四)で開催される江戸川総合人生大学祭で展示。関口さんの手作りで、縦六十センチ、横四十二センチ。一目で当時の治水技術の粋が分かる。

 川の歴史や地理に詳しい葛飾区郷土と天文の博物館の橋本直子学芸員は「いろいろな手段で地元の堤を解明していて、素晴らしい」と、関口さんの研究を高く評価する。

 

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