東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 東京 > 記事一覧 > 9月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【東京】

<太宰治没後70年 三鷹の記憶> (4)戦時体制の三鷹で花開く

太宰治と三鷹について語る安藤宏東京大教授=三鷹市内で

写真

 「中心から隔たりをつくって、異端を選び取ることに、太宰の文学が花開いた秘密があります」と安藤宏東京大教授(日本文学)は話す。隔たりとは、一つは都心から離れた片田舎の三鷹で暮らしたこと。もう一つは、胸部疾患のため徴用を免除され、戦争に行かずに過ごしたことだという。

 かつて東京都内のある地域に集まり、居を構えた作家たちがいた。例えば、尾崎士郎らの馬込文士村(大田区)や芥川龍之介らの田端文士村(北区)だ。これに対し、太宰治は師匠の井伏鱒二のグループに属した。杉並区の荻窪にある井伏宅には、若い作家が集まり、将棋を指し、酒を酌み交わした。馬込などに集まる流行作家に比べたら、中央線沿いに住む自分たちは「三流作家」と井伏は著書「荻窪風土記」に書いている。

 太宰が結婚して一九三九年から暮らしたのが三鷹だった。四〇年に発表した「鴎」には「私の家は三鷹の奥の、ずっと奥の、畑の中に在る」と書いている。安藤教授は「文壇の“アウトサイダー”を自負していた井伏のグループの中でも、さらに距離を置いていた太宰だが、そこで頑張るという自負があった」と見る。明るい作風の「走れメロス」も四〇年に発表している。

 「鴎」にはこんな一節もある。「(体が弱く兵隊になれず)社会的には、もう最初から私は敗残しているのである。けれども、芸術。(中略)私は痴(こけ)の一念で、そいつを究明しようと思う」

写真

 作中、自分を歯が欠け、背中は曲がり、ぜんそくに苦しみながらも、路地で、一生懸命バイオリンを弾く老いた「辻(つじ)音楽師」に近い存在とし「辻音楽師には、辻音楽師の王国が在るのだ」と、戦争中心の世の中になっても、芸術を追究する決意を述べている。

 安藤教授は「太宰は世の中が平和な時には、自殺未遂ばかりしていて、戦争になると、元気になり充実した作品を残した不思議な人。戦時体制が、三鷹という場所と重なって、太宰の文学は花開いた」と話している。

<メモ>安藤教授が三鷹らしい小説として挙げるのが「善蔵を思う」。表舞台から離れた三鷹で、芸術の花を開かせるという太宰の決意が込められているという。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】