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【東京】

松浦武四郎の志 取り持つ縁 世田谷・静嘉堂文庫美術館で生誕200年展

松浦武四郎(松浦武四郎記念館提供)

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 北海道の命名者で幕末の探検家、松浦武四郎の古物コレクションを父が購入した旧財閥三菱の社長、岩崎小弥太と、祖父が武四郎の友人だった銀行頭取で陶芸家の川喜田半泥子(はんでいし)。武四郎コレクションを収蔵する静嘉(せいか)堂文庫美術館(世田谷区)は、24日から開く武四郎の生誕200年記念展で、ゆかりの企業家で文化人でもあった2人も紹介する。 (松村裕子)

 岩崎小弥太(一八七九〜一九四五年)は三菱の第四代社長。父の二代弥之助(一八五一〜一九〇八年)と二代にわたり図書や美術品を収集。二人の収集品を展示する静嘉堂文庫美術館は東洋文化の一大宝庫とされる。弥之助は武四郎の死後、二百四十個余りの宝石や勾玉(まがたま)、ガラスを連ねた大首飾りなど武四郎コレクション約九百点を一括購入した。

 川喜田半泥子(一八七八〜一九六三年)は伊勢商人をルーツとする津市の豪商。十六代当主で百五銀行(津市)の頭取を務めた。陶芸家としても知られ、「東の魯山人、西の半泥子」と称される。総合文化施設「石水会館」を津市につくった。祖父の石水(一八二二〜七九年)は、三重県出身の武四郎の友人で、手紙を送り合う仲だった。

 小弥太と半泥子は同時期に三菱グループの明治生命保険(現明治安田生命保険)の大株主。半泥子は一九二五年から二十余年、同社の監査役などを務めており、同社広報部は「株主総会で会うなど二人は何らかの親交があった」とみる。

 石水会館が前身で半泥子の作品などを所蔵する石水博物館(津市)も「二人に付き合いがあった可能性はある」という。半泥子の四五年五月の日記には、小弥太が半泥子を訪ねてきたとみられる記載がある。

 松浦武四郎(一八一八〜八八年)は蝦夷地と呼ばれた北海道を六回も探検し、当時最も北海道に詳しかった。一八六九年に明治政府の役人として政府に北海道のもととなる名称「北加伊道」を提案した。松浦武四郎記念館(三重県松阪市)によると、日本の文化財が海外に流出する中で文化財を守るため古物を収集したという。

 公益財団法人・静嘉堂の安藤一郎常務理事は「二人とも金持ちの企業家で文化事業に取り組んだ」と共通点を強調。二人の活動は武四郎の思いにも通じ、「二人の不思議な関係を知り、三人に共通する志を感じてほしい」と話す。

 記念展では、大首飾りなどの武四郎コレクションのほか、小弥太の銅像や石水博物館所蔵の半泥子の茶わんなどを展示する。十二月九日まで。

岩崎小弥太(静嘉堂文庫美術館提供)

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川喜田半泥子(石水博物館提供)

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