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【国際】

朴大統領が辞意 18年の任期待たず 政治私物化 国民から絶縁状

 【ソウル=上野実輝彦】韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は二十九日、友人の崔順実(チェスンシル)被告による国政介入疑惑を巡る三回目の国民向け談話を発表し、「任期短縮を含む退陣問題を国会の決定に任せる」と述べ、二〇一八年二月の任期満了を待たずに辞任する考えを表明した。抗議集会で辞任を求める国民の声が高まる中、政治基盤だった与党主流派からも退陣要求が出始め、政権維持は不可能と判断したもようだ。

 任期(五年)途中で辞任すれば、一九八七年の民主化後初めて。野党側は「弾劾を避けるための小細工」(共に民主党・秋美愛(チュミエ)代表)などと批判し、弾劾手続きを継続する方針を強調。弾劾訴追案を予定通り、来月二日か九日に採決する考えを示した。韓国政治の混乱が長引く可能性がある。

 朴氏は「与野党が議論し、混乱と空白を最小化して政権を移譲する方策ができれば、その日程と法手続きに従って大統領職を退く」と説明。一連の疑惑については「国家のための公的事業だと信じて推進してきたが、周囲をうまく管理できなかったのは大きな過ちだ」と謝罪したが、「近いうちに詳しく話す」と説明は拒否した。

 疑惑を巡っては、ソウル中央地検が崔被告を職権乱用罪などで起訴し、朴氏についても「相当部分で共謀がある」と認定。現職大統領として初めて容疑者と位置づけて捜査している。野党や与党非主流派は弾劾訴追に向けた動きを加速させたが、朴氏側は対決姿勢を示していた。

 二十六日のソウルでの抗議集会には主催者推計で百五十万人(警察推計三十万人)が集まり、過去最大規模となった。さらに朴氏に近い与党主流派の重鎮議員らも退陣を求める方針を決定するなど、朴氏の孤立が深まっていた。

      ◇

 韓国民が朴槿恵(パククネ)大統領を支持してきたのは、就任演説で「国民みなが幸福な韓国をつくることに全てをささげる」と誓った「無私」の献身を信じたからだった。歴代の大統領が親族の不正で不名誉な最後を迎える中、韓国民の目には「政治のために自己を犠牲にする人」とまぶしく映っていた。

 朴氏は激動の人生を歩んできた。一九七四年、父朴正熙(パクチョンヒ)大統領の暗殺を狙った流れ弾で、母の命が奪われた。当時二十二歳だった朴氏は留学中のフランスから急きょ帰国。五年間、ファーストレディー役として父を支えた。その父も五年後に側近に射殺された。

 「(北朝鮮と接する)休戦ラインに異常はありませんか」。悲報に表向きは動揺をみせず、帰国して真っ先に口にした国を心配する言葉は国民を感動させた。

 朴氏は回想記で、血に染まった父、母の衣服を青瓦台(大統領府)で洗いながら「一生分の涙」を流したと振り返る。

 野党党首だった二〇〇六年には、遊説中に暴漢に襲われ、重傷を負った。「私には、やることが残っているから、命を残したのだろう」と感じたといい、「国家と結婚した」として独身を通してきた。大統領選挙では「養う家族も、財産を残す子供もいない。私の人生は国民と共にある」と訴え、三十四年ぶりに青瓦台に戻った。

 しかし、友人による一連の国政介入疑惑で、こうした国民が朴氏に抱いた幻想は、壊れてしまった。黒いカネとは無縁と思われた大統領が友人を利するために財閥に巨額資金を無心していたと伝えられた。

 朴氏が大統領辞意を表明するまでに追い込まれた最大の原因は、「公正」「無私」を信じた国民が「裏切られた」として激しい怒りを抱いたからだ。朴氏は近く、失意のどん底で、再び青瓦台を去ることになる。 (北東アジア担当・城内康伸)

 

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