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【国際】

四川大地震10年 「災害援助 ここから変わった」

11日、四川省の北川中学校跡地で、10歳の息子を失った女性(左)の隣で手を合わせる中島さん=中沢穣撮影

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 【北川チャン族自治県(四川省)=中沢穣】中国で約8万7000人の死者・行方不明者が出た四川大地震から12日で10年を迎える。中国政府は当時、初めて外国の救援隊を受け入れ、日本の国際緊急援助隊救助チームが第1号になった。救助チームの一員として活動した東京都立広尾病院(東京都渋谷区)の医師中島康(やすし)さん(47)は11日、10年ぶりに被災地を訪れ、「ここでの活動をきっかけに日本の災害援助の常識が変わった」と振り返った。

 「このがれきの下に、まだ生きている人がいたのかもしれない。そんなことを考えてしまう」。中島さんは十一日、日本チームが活動した北川中学の敷地で何度も手を合わせた。省都成都から約二百キロ離れた北川チャン族自治県の山あいにある北川中学校は五階建て校舎の一、二階がつぶれ、生徒七百三十三人、教師四十人が犠牲になった。

 中島さんは海外で災害救助を行うのはこの現場が初めて。警察と消防、海上保安庁などで構成する日本の救助チームに医師が加わるのも初めてだった。「いろいろな意味で初めてのことが多かった。活動中は不安で仕方なかった。チーム全体も大変なプレッシャーがあった」と明かす。

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 中島さんによると、四川大地震を機に、日本の災害援助は、二次災害を出さないために救助活動者の安全を優先する方向に転換。救助チームに医師が加わり、隊員の安全や健康を支えるようになった。中島さんはその後、ニュージーランドのクライストチャーチ地震や東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市でも活動。「四川での経験は私個人だけでなく、日本の災害援助を大きく変えた。それだけ衝撃的な現場だった」

 中学校の跡地は今は記念館となり、周辺には土産物店が軒を連ねる。校舎のがれきが残るのはごく一部だ。十一日には観光客に交じり、遺族らが敷地のあちこちでひっそりと線香や花を手向けていた。チャン族の女性は「十歳の息子を失った。遺体は見つからなかった」と赤い目で線香をともしていた。

<四川大地震> 2008年5月12日午後2時半ごろ、四川省〓川(ぶんせん)県を震源地とするマグニチュード(M)8・0の地震が起き、日本国土の約1・3倍にあたる約50万平方キロが被災した。死者6万9226人、行方不明者1万7923人。中国政府は省全体で約1兆7千億元(約30兆円)を投入し、インフラなどを復旧。12年2月に「復興完了」を宣言した。

※ 〓は、さんずいに文。

 

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