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【国際】

<敵として 友として 中国人留学生40年> (上)若き李克強首相「日本に学べ」

謝思敏さんが日本留学前、同級生の李克強氏(現首相)から受け取った手紙=浅井正智撮影

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 「日本のメディアには初めてお見せするものです」

 中国江蘇省蘇州のホテルで会った弁護士、謝思敏(しゃしびん)さん(61)が、かばんから取り出した古い手紙は茶色に変わっていた。

 北京大の同級生だった李克強(りこくきょう)・現首相が、日本留学前の謝さんに宛てたものだ。李氏は旅立つ友にこうつづっている。

 「日本人は進取の精神に富んでいる。日本では専門知識だけでなく、時間をかけて日本の民族精神と文化的な背景を学ぶべきだ」

 「日本人は東西の文化を融合できたことに誇りを抱いている。彼らになぜそれができたのか。理性的に研究するだけでなく、感性で理解することも必要だ」

 謝さんと李氏は、大学の寮で二段ベッドの上と下に寝ていた仲。手紙の中でも李氏は謝さんを「思敏」と呼び掛け、文末に「克強」と記し、親しい間柄にあったことが分かる。

 謝さんは一九八二年十月、政治動乱の文化大革命(六六〜七六年)終了後に初めて公費で留学した大学院生百四十九人の一人だ。「日本で何を学ぶべきか方向を示してくれた」この手紙を今も大切にする。

1985年1月、留学から一時帰国した際、北京で李克強氏(右)と再会した謝思敏さん=謝さん提供

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 七八年十二月、改革開放政策を決めた中国政府は、人材育成策として海外留学重視を打ち出す。日中戦争以来約四十年、中国人留学生の受け入れは実質的に途絶えていた。

 謝さんは神戸大の大学院で民法や商法を学んだ。中国国内にはソ連や国民党時代の文献しかなく、外国で学ぶことを強く望んだ。帰国後は証券市場の開設に奔走し、改革開放政策の一端を担った。

 「旧敵国への留学に周囲の反対はなかったか」と問うと、首を横に振った。

 「敵から学ぶこともできる。日本が戦後、米国から学んだように」

◆重圧あり楽しくもあり

 一九八二年十月、謝思敏(しゃしびん)さんと同じ飛行機で来日し、京都大の大学院で高分子化学を学んだ唐本忠(とうほんちゅう)さん(61)=香港科技大教授=が鮮明に覚えているのは、留学前の半年間、遼寧省大連で受けた日本語の特訓だ。

 「まったくのゼロからのスタート。でも日本人の先生は悪魔のように厳しかった」と振り返る。そして留学生活で「重いプレッシャーを感じていた」と明かした。

 中国政府は謝さん、唐さんらに五年以内の博士号取得を求めていた。「日本では五年で博士号を取る人は少ないが、成し遂げなければならない使命だった」

「5年以内に博士号を取るという使命にプレッシャーを感じた」と話す唐本忠さん=香港科技大学で(浅井正智撮影)

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 唐さんは後年、中国学術界の最高称号「中国科学院院士」を得ることになる。

 大学院生に先駆け、学部レベルの公費留学は七九年に始まった。その一人の孫暁燕(そんぎょうえん)さん(66)は早稲田大で日本語を学んだ。

 文化大革命の時に若者を農村で再教育する「下放」の五年間を経て二十一歳で北京外国語大の日本語学科に入った。孫さんの父は日中国交正常化前に対日工作を担った故孫平化(そんへいか)氏だが、日本語専攻を希望したわけではない。「下放が終わり、北京に戻れれば、専攻は何でもよかった」と笑う。

 留学は大学卒業後、党の機関で「毛沢東(もうたくとう)選書」の和訳などの仕事をしていたときに降って湧いた。留学先を決めたのも政府だ。「聴従国家的召喚(国家の召喚に従う)」のが当然とされた時代。「誰もが中国の近代化に貢献したい一心だった」という孫さんの言葉に、当時の雰囲気がにじむ。

 それでも留学は楽しい思い出に彩られている。早大の故安藤彦太郎教授の家庭にホームステイし、「何でも見て、いろいろな人に会いなさいと連れ回してもらった」。他の留学生とともに首相官邸で大平正芳首相にも会った。孫さんはその後、通訳として文字どおり日中をつないできた。孫さんの長男も東京芸術大で学び、三代で日本に留学したことになる。

 唐さんも「日本人は留学生に親切にしてくれた。私も日本人が礼儀を重んじ、真面目に仕事に取り組む姿勢から多くを学んだ。いい時代だった」と懐かしむ。

 今となっては信じられないほどの「日中関係最良時代」の恩恵に、留学生たちも浴していた。

     ◇ 

 日中平和友好条約の締結から十二日で四十年となる。今年は中国の改革開放政策から四十年でもある。日本に留学した中国人たちの軌跡を通じ、日中関係の四十年を振り返る。

 (上海支局・浅井正智、中国総局・中沢穣)

<日本の中国人留学生受け入れ> 日清戦争直後の1896年、清国の官費留学生を受け入れたことに始まる。魯迅(ろ・じん)や郭沫若(かく・まつじゃく)、周恩来(しゅう・おんらい)、〓介石(しょう・かいせき)ら著名人も日本に留学した。日中戦争後、その数は激減。1949年の新中国成立後、中国はソ連や東欧に留学生を派遣したため、日本留学は長らく途絶えた。本格的な受け入れ再開は、改革開放政策導入後まで待たなければならなかった。

※〓は草かんむりの下に將

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