東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 国際 > 紙面から > 11月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【国際】

<第一次世界大戦終結100年> 毒ガス弾 世紀超え汚染

仏北部ミュズレーで、使用が禁じられた農地を説明するセドリック・セルベさん

写真

 フランスでは、第一次世界大戦(一九一四〜一八年)で使われなかった毒ガス弾の処理場跡地で土壌汚染が明らかになりつつある。大戦後、最大規模の集積所だったロレーヌ地方の小村ミュズレーは二〇一五年に耕作が禁じられ、現在も仏北東部など五カ所で調査が進む。戦争終結から百年たつが、大戦の“傷痕”は消えていない。 (仏北部ミュズレーで、竹田佳彦、写真も)

 「草があまり生えず黒っぽい場所があるだろ。危険だからと使用を禁止されたんだ」

 ミュズレーの農家セドリック・セルベさん(41)が畑の一角を指さした。村には今も、砲弾の残骸や毒ガス成分を入れていたとみられるガラス瓶が転がる。

 仏地質調査所(BRGM)は一五年二月、大戦後の土壌汚染を調べていた専門家の指摘で村内の農家七軒の農地を調査。高濃度のヒ素やダイオキシン、スズ、亜鉛が検出された。セルベさんは管理する農地二百ヘクタールのうち四十ヘクタールの使用を禁じられ、肉用牛や子牛の殺処分を指示された。再調査を経た今も、まだ七ヘクタールが使用禁止のままだ。村内では他の五ヘクタールも使用が禁じられている。

 問題の農地を〇〇年に借りたセルベさんは「地下水位が低く農作物に異常が見つかったことはないが、なぜ百年も汚染が放置されたのか。国から何の説明もない」と憤る。

 ミュズレーはベルギー国境から約三十キロ。大戦時は侵攻したドイツ軍が鉄道を敷き、大型大砲でベルダンの仏軍要塞(ようさい)を狙った。近くには毒ガス弾を含む大量の砲弾備蓄庫が置かれた。

写真

 元ミュズレー村長で歴史家のダニエル・イポリートさん(72)によると、一九一八年の終戦後、使われなかった大量の砲弾が仏北部一帯やベルギーから集められた。仏軍の関係資料には、毒ガス弾だけで百五十万発、通常弾は三十万発あったと記されている。

 BRGMの研究者ダニエル・ユベさん(48)によると、毒ガス弾は当初、仏軍が爆破処理したが、軍の招集の解除後は、設立された専門会社が処理を継続。深さ三メートルの穴に毒ガス成分を埋めたり、有毒な液体を容器にまとめて廃棄したりしていたといい、「汚染は、爆破処理による飛散や穴への投棄が原因と考えられる」と指摘する。

 この専門会社は二五年ごろに解散。ロレーヌ地方は第二次大戦でも再び独軍に占領され、ミュズレーは食料調達のため独軍のもとで農地が区画整理された。戦争の混乱により、処理場跡地の位置が正確に分からなくなり、処理に関する資料も十分整理されなかった。「住民は二度もドイツに占領された忌まわしい記憶にふたをして、処理場を語り継がなかった。土壌汚染の可能性も知らず、これまで問題が表面化しなかった」とイポリートさんは言う。

 BRGMは現在、仏北東部アルザスやロレーヌ地方のボージュ山脈内など五カ所で調査を進めている。ユベさんは「少なくとも五十カ所は類似の処理場があったとみられる」と指摘し、こう強調する。「銃撃が終わっても、戦争はけっして終わっていないんです」

仏北部ミュズレーで1919年ごろ、大量に集められた砲弾=ダニエル・ユベ氏提供

写真
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報