■書 評
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民衆騒乱の歴史人類学
[著者]喜安 朗
せりか書房
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3150円
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[評者]平井 玄
(評論家)
■パリの「長屋」に発した気運
民衆? 騒乱? 一九七〇年の沖縄コザ暴動や七八年の成田空港反対闘争あたりを最後に、そんな言葉が忘れ去られて、もう三十年以上がたつ。 −と思っていたら、去年四月から九月くらいまでの毎月十一日に高円寺や新宿や渋谷の駅前をたまたま通った人は、手製のプラカードを掲げて練り歩く人々を目の当たりにしたに違いない。工夫を凝らしたコスプレに身を包み踊りながら歩く姿は万を超える。パンク、レゲエ、チンドン、ハウス…、さまざまな音響を盛大に響かせながら集う人々で、夕闇の駅前広場はダンスパーティーになった。 SPEEDIの予測通り首都圏にも高レベル放射性物質が舞い降りた六月にかけて、私たちの手足や脳を縛りつけてきた企業やメディア、警察の動きまでが痺(しび)れたようになった。この時、社会は一瞬だけ「真空状態」に近づいたと思う。これはアテネやカイロの広場と同時進行である。 まさにその意味で、この本の内容は「現在」に深くかかわる。フランス革命によって幕が開かれた十九世紀パリの「自由」。まるで顕微鏡で覗(のぞ)き見るように、著者はその躍動を貧しい労働者たちが群がり住むカルチエ(街区)の陽の当たらない路地裏に探る。一階に商店や手工業の現場、二階にはその経営者の家族。上下水道もエレベーターもないから、上に行くほど不便で不潔で家賃も安い。貧しい者ほど上の階に住む。今とは逆だ。 このタテになった「長屋」に押し寄せる「労働規律を守れ」「家賃を上げろ」という暴圧を、蹴(け)とばした上の連中が街に繰り出し、一八三〇年七月や四八年二月の革命、七一年のパリ・コミューンが起きたのである。 もう東京にもパリにも「長屋」は見えない。郊外に散り、やがて秘(ひそ)かに都心に帰ってきた。震災は見えないそれを揺さぶってふたたび街に引き出した。この本はこれから役に立つ。
きやす・あきら 1931年生まれ。日本女子大名誉教授、フランス近代史。著書に『民衆運動と社会主義』『パリ−都市統治の近代』など。
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