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【探訪 都の企業】

<第1部>【5】イビサ(港区北青山) 画一壊せ地中海バッグン

2008年4月4日

バッグの装飾素材工程を見る吉田茂会長(右)

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 深く透明な青−。海に浮かぶ島を、気ままな格好をした若者たちが行き交う。無造作な長髪をなびかせ破れたジーンズ姿。何より目を引くのが手にしているバッグだった。「色や形が奇抜なだけでなく、革の自然なしわや傷を生かしたデザイン。日本では見ないものだった」

 一九六八年、スペイン・イビサ島。当時、ヒッピー文化の聖地となっていた地中海の小さな島からバッグ製作販売、イビサの吉田茂会長(75)の挑戦は始まった。

 日本ではその三年前、商社勤めから独立した。東京・浅草で皮革問屋を営んでいた。「革を見る目には自信がある。製作まで手掛ければ、もっと良いものができるのでは」。そう感じたとき、イビサの光景が情熱に火をつけた。

 「それからは夢中の日々でした」。妻の玲子さん(71)は振り返る。埼玉県川口市の自宅は、たちまち「兼工場」に。玲子さんは、吉田会長の着想を基に、真夜中までミシンを踏み続ける。七二年、仕上がったバッグにつけられたブランド名は「IBIZA」だった。

 バッグは多品種少量生産。同じものが二つとない個性で評判を得ていったが、商習慣の壁に突き当たった。

 「問屋から仕入れた小売店が勝手にバーゲンをしてしまう。価格競争になったら、手間をかける、うちのような会社は負ける」と吉田会長。一方、問屋からは、画一的なデザインと大量生産を求められた。そこで吉田会長は、全国の百貨店や専門店を歩き、自ら販売して直販ルートを確立、業界の常識を覆していった。

 現在、イビサは東京・北青山など全国五カ所のショールームと川口の三工場を抱え、年間売上高三十八億円、従業員四百二十人を超えるまでになった。

 しかし同社を一貫して支えるのは顧客との「近さ」という。吉田会長は「販売までを自社で手掛けたことで、お客さんの表情や声を直接感じられるようになった」と話す。

 購入履歴が把握できる顧客リストは、中高年の女性を中心に百十七万人。「海外の安い製品が増えているけど、個性を失ったら駄目。ほかと同じものは作らない」。地中海発の感性が今、都に息づいている。

 (この連載は経済部・松井学、斉場保伸、石川智規、村上豊、杉藤貴浩が担当しました。近く続編を掲載します)

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■流行発信地で奮闘

 「東京・青山に工房を出したのが1974年。大家から『半年持つかどうか』なんて言われたけど、流行の発信地に進出できてうれしかった。細長いビルの4階で、エレベーターもなかった。仕上がったバッグを窓際に何個もぶら下げて、道行く人々が見に来やすいようにした。工場のある川口も、多くの従業員が地元の人で、愛着深い」

(吉田会長)

 

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