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【探訪 都の企業】

<第2部>【5】フェローズ(渋谷区恵比寿南) 独自のアメカジ発信

2008年5月3日

渋谷ジーンズを手にするフェローズの志村昌洋社長

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 一九七〇年代の渋谷にはまだ空き地があり、小さな服飾店がひしめき合っていた。

 中学生だった志村昌洋氏(48)は、そこでジーンズやスエットなど米国発の普段着「アメリカン・カジュアル(アメカジ)」に魅せられ、古着屋通いが始まった。だが、自分の好みに合った服にはなかなか出会えなかった。

 「自分で作るしかない」。デザイン事務所などを経て、九〇年に三十歳で「フェローズ」を立ち上げた。

 ジーンズは、一九四〇年代−六〇年代のモデルを参考にデザイン。デニム生地の産地として知られる岡山県井原市の工場に委託し、昔の力織機で少量しか織れない生地を使い、縫製には七種類の糸を使い分ける。

 アメカジには、長期着用によるほつれや色あせなど、経年変化を「妙味」として楽しむ文化がある。妙味を深めるため、素材や縫製にこだわり、洗濯後の色の抜け方や縮み方まで計算する。

 このため生産量は限られ、全国に散在するアメカジ専門店に少しずつしか卸せない。代わりに、いつもフェローズの商品に触れるよう、原宿に直営店「スマート・クロージング・ストア」を開いた。

 ライバルメーカーに自身の代表作と同じような商品を発売されて大打撃を受けるなど「やめようと思ったことは何度もある」。しかし、ライバルが作らない商品に注目し、手を抜かない物作りで経営を立て直した。

 借金を完済し、二人だけで始めた会社の社員は十一人に。営業部の杉本圭太郎課長(28)が「フェローズの熱烈なファンだった」と言うように、愛用者は着実に広がってきた。

 「渋谷ならではのモノが作れないか」。行きつけだった原宿周辺の衣料材料店や飲食店から持ち掛けられたのは、三年前だった。思い付いたのは、渋谷区の区章をもじったマークを印刷した「渋谷ジーンズ」。百本限定で、すぐに完売した。「東京人は地元意識が希薄だけど、渋谷を主張してみたらおもしろいと思った」

 試みは成功裏に終わったが、「自分の好みを満たすための変わった商品は、息抜きの側面もある」と割り切り、売れ筋の定番商品に回帰する。企業規模は追求せず「社員に給料を出し、税金を払えるだけの利益があればいい」と言い切る。

 (この連載は経済部・杉藤貴浩、荒間一弘、村上豊、桐山純平、吉田通夫が担当しました。近く第3部を掲載します)

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■地域への思い

 「1970年−80年代の渋谷は、服飾の才能が集まってきていて、すごい街になるという予感があった。渋谷駅周辺はいかがわしい店も増えたけど、表参道や青山周辺は健全な活力があふれ、昔と変わらない。今の住まいは町田市で、地元のサッカークラブ『FC町田ゼルビア』のJリーグ入りを、メーンスポンサーとして応援しています」 (志村社長)

 

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