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【探訪 都の企業】

<商店街編>【下】横田基地前 2商店街(福生市) それでも、アメリカン

2009年7月1日

横田基地前の商店街で商売するK・ブラザーズの唐鎌照雄さん=東京都福生市で(中嶋大撮影)

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 米軍横田基地の西側を走る国道16号。基地の反対側には、16号沿いに輸入古着や雑貨、米軍関係用品など約一・五キロにわたって横文字看板の店が連なる。

 商店街はこれまで、「米国とドル」に翻弄(ほんろう)されてきた。昨年秋のリーマン・ショック。商店街は再び米国発の“津波”にのみ込まれた。

 「商店街全体の客足は半分ぐらいに減ったかな。買い物せずに見物だけする人はいるんですが」。福生武蔵野商店街振興組合の副理事長で、“米国流”紳士服店を営む「テーラーK・ブラザーズ」の唐鎌照雄さん(72)はため息交じりに話す。さらに「金融危機以降、拍車が掛かった大手衣料店などの低価格路線の影響も大きい」とデフレ傾向も追い打ちをかける。

 商店街は戦後、駐留米軍人と家族向けに生活用品や土産品を売って発展した。当時は一ドル=三六〇円の固定相場制。現在の三倍以上の価値がある“強いドル”を持った米兵らの購買意欲に支えられた。

 一九七三年の変動相場制への移行、八五年のドル高是正が図られたプラザ合意。円の価値は上がり続けた。この間、基地関係者は割安感が消えた商店街を避け、基地内で買い物を済ませるようになった。

 だが、「米国」を感じさせる街並みが今度は日本の若者を引きつけた。基地関係者に代わって、週末になると国道16号を伝って若者を乗せた車が集まるようになった。

 二〇〇一年の米中枢同時テロ後、基地周辺の検問が強化された。車を使った客の足が遠のいた。そして米国発の金融危機…。

 今、厳しい状況を打開しようと若手商店主らが、駐車場の整備やフリーマーケット開催、案内マップの作製といった集客作戦を打ち出している。しかし、効果はいまひとつ。

 別の商店街組織、横田商栄会の柳川英司前会長(58)は「基地を前面に出す姿勢を変えられない。米国の違った魅力を若者に訴える必要がある」と語る。唐鎌さんも「かつて米国にあこがれた世代のお客さんが、その子供を連れてきている」と世代を超えた横田ブランド戦略の再構築に活路を見いだそうとする。なお残る「戦後」という仮想空間の中、商店街の模索が続く。(この連載は、経済部・斉場保伸、坂田奈央、村上豊が担当しました)

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■エコノミストの目

 米軍基地に隣接した商店街では、基地のイメージだけにぶら下がると厳しい。「佐世保バーガー」のような商品で“福生アメリカン”を打ち出してはどうか。ジーンズなど客単価が安いものだけを扱っていたのでは、消費者ニーズに合わない。若い人は価値を見いだせば高くても買う。時代を観察し、独自のアメリカンスタイルを構築する必要がある。(ブランド総合研究所・田中章雄代表)

 

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