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【探訪 都の企業】

<問屋編>【上】大森海苔問屋街(大田区大森中など) 『発祥の地』誇りを胸に

2009年11月5日

全国から集まったよりすぐりの海苔を発信する大森本場乾海苔問屋協同組合の福本惠一理事長=東京都大田区で(木口慎子撮影)

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 かつて国内の大都市には大きな問屋街があった。しかし、メーカーと直接取引する小売店の出現で、問屋は減りつつある。日本伝統の商習慣が変ぼうする中、独自の工夫で生き残りをかける“都の問屋さん”を紹介する。

 すしやおにぎりなど和食に欠かせない海苔(のり)。日本人になじみが深い海苔の養殖発祥の地が大田区大森にある。

 東京湾の埋め立てに伴い、大森での海苔養殖は途絶えた。しかし、そのDNAは千葉県や愛知県、岩手県など全国の養殖場に広まった。一方、大森界隈(かいわい)は、今も海苔問屋でにぎわっている。

 江戸時代の一六〇〇年代後半、全国で初めての海苔養殖が、大森地域で始まった。遠浅に枝付きの竹(竹ひび)を立て、海苔の胞子をつけて成長させる。それを丸めて干し、できあがった海苔は当時、江戸を代表する繁華街であった浅草で売られていた。

 門外不出だった大森海苔のDNAが全国に広がったのは、参勤交代で江戸を訪れていた大名らが気に入り、自分の国に技術を持ち帰ったからとされる。一九六三年、東京湾の埋め立てにより大森の養殖場は完全に閉鎖され、海苔生産者はいなくなった。しかし問屋だけは残った。

 現在、大森本場乾海苔問屋協同組合に加盟する海苔問屋は六十一社。五二年の組合スタート時は八十五社だった。全国でさまざまな業種の問屋が後継者難などで減っていく中、減少幅を抑えている。

 「発祥の地という自負がある。思い入れの強い問屋が集まっている大森だから、ここまで続いている」。協同組合理事長の福本惠一(よしかず)さん(65)は力を込める。福本さんが専務を務める大森水産も、元は江戸末期から代々続く老舗問屋。四代目だった父親の代で、日本橋の老舗海苔屋に卸している四社が統合し、現在の大森水産として戦後の混乱期を乗り切った。

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 伝統の味を守るため、地域で力を合わせている。若手二十人がホームページをつくり、「海苔のふるさと大森」を発信。子どもたちに興味を持ってもらおうと、大森での海苔づくりを再現するイベントも開催した。仲間同士で「小さいころ食べていた味そのものだ」と喜び合った。

 海苔の命は「色、つや、香り」。特に香りが大切で「口に入れたときの感触がほんのり柔らかく、甘く、海を感じる。これが、大森のこだわりの味です」と福本さん。伝統の味を守る問屋経営者としての誇りは高い。

 

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