東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > 探訪 都の企業 > 記事

ここから本文

【探訪 都の企業】

<信金編>【下】芝信用金庫(港区新橋) 職人社長に経営指南

2010年11月29日

土曜日に顧客の相談に乗る芝信金梅屋敷支店の橘新治支店長(左)=東京都大田区で(中嶋大撮影)

写真

 芝信金が十六の支店を持つ大田区の“都の企業群”。リーマン・ショック、欧州発の金融不安と断続的に起きる経済危機の影響は大きく、「ここでも企業の景況感は底をはっている状態です」(同信金)という。

 そんな中、企業の悩みを吸い上げようと、同信金は定期的に「土曜日相談会」を開催している。一部窓口を開放し、そこには支店長と副支店長が待機している。平日は、なかなか相談に来られない個人事業主ら顧客の経営や返済に関する悩みを聞いて、アドバイスするのが目的だ。

 梅屋敷支店(大田区蒲田)の橘新治支店長(60)が思い出すのは、今年春に相談に来た六十代の男性経営者のケースだ。

 日用品から医療関係まで、さまざまな種類の「袋」を製造している中小企業。さほど高い技術を要しない汎用品の「袋」は、中国への製造拠点の移転が進む中で仕事は激減した。一方で、医療用の点滴袋など付加価値の高い製品は、国内市場で仕事を取り合う悪循環に陥っていた。

 経営が厳しいことに加え、バブルのころに購入した土地の借入金返済が重くのしかかり、収支は悪化。経営者は「何とか、会社を立て直したい」と相談に来た。

 「高い技術を持つ職人かたぎの経営者ほど、経営自体については疎いというケースが多い。地域金融機関の力が求められるケースでもあった」。橘支店長は製品ごとに利益率をはじき出し、採算性の高い製品に特化する事業計画を提案した。さらに「二十人ほど抱える従業員の給料を含めた固定費の削減も断行した。経営者自身も営業に駆け回って、何とか厳しい経営状態から抜け出した」という。

 橘支店長は「『事業をやめてしまおうか』と弱気だった経営者の顔が、一気に明るくなりました」と満足げに振り返る。現在、経営者は息子に社長の座を譲り、新しい世代による経営に踏み出したという。

 「決算書の数字だけでは、会社の本当の価値は見えてこない。われわれは『数字』を見てお金を貸すのではなく、『人』に直接お金を貸すのです」。“都の企業”を経営する「人」に意欲や情熱がある限り、信金は共に生き残る道を模索し続ける。

写真

◆地域への思い

 創立から85年。関東大震災後の焼け野原の中、地元有力者たちがお金を出し合って復興基金をつくったのが芝信金の原点だ。かつては家具職人が多く商店街がにぎわいを見せていた港区などは、今ではビルが立ち並ぶ街に大きく変化。信金も地域の実情に合わせる形で変わってきた。信金は地域との運命共同体。地域との密な“親せき付き合い”を大切にしていく。 (石原哲夫理事長)

 (この連載は、経済部の須藤恵里が担当しました)

 

この記事を印刷する

PR情報