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【探訪 都の企業】

<続・震災奮闘編>【上】宮城から輝き発信 コスメティック・アイーダ(渋谷区渋谷)

テレビや映画、舞台用の化粧品も手掛けるコスメティック・アイーダの神谷文夫社長=東京都渋谷区渋谷で(木口慎子撮影)

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 東日本大震災の被災地を後押ししようと、全国の信用金庫が連携して十一月一日、「日本を明るく元気にする“よい仕事おこし”フェア」を東京ドーム(文京区)で開く。出展する「都の企業」の意気込みと東北復興への思いを紹介する。

 「機械設備は泥水で全滅。完成品も半製品も全て流失した。工場がいつ再開できるかで頭がいっぱいでした」。コスメティック・アイーダの神谷文夫社長(57)は、津波にのまれた宮城の主力工場が復旧するまでのこの一年半を振り返った。

 創業は一九八四年、神奈川県大和市で。美容室などの業務用化粧品を生産する他、テレビ・映画・演劇向けの専門ブランド「舞台屋」を展開。二〇〇八年公開の映画「おくりびと」では、納棺師が遺体に化粧を施す場面に同社の製品が登場した。OEM(相手先ブランドによる生産)が売上高の約七割を占める。

 神谷社長は元製薬会社の営業マン。化粧品会社で研究職だった叔父の会田康二会長(75)に口説かれて脱サラし、二人三脚で業績を伸ばしていった。

 宮城県南部の山元町と亘理(わたり)町に三つの工場などがあり、全従業員約百三十人のうち約百人が工場で働く。

 昨年三月十一日、海岸から約一キロの第二工場(山元町)を津波が襲った。第二は製品の一貫生産が可能な主力工場として、三工場の中で最多の約七十人が就労。従業員が車などで避難して間もなく、高さ三メートルの津波が三階建ての一階製造区画をなめ尽くした。内陸にある他の二工場(亘理町)は無事だった。

 神谷社長が被災地入りしたのは、ほぼ一カ月後の四月七日。「交通事情が許さない上、従業員の安否確認や取引先への説明などで、こちら(常勤先の渋谷区の営業本部)で対応しなくてはならないことが多過ぎて」と忙殺された日々の記憶をたどった。

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 後日、第二工場で働き始めて三日目のパート女性=当時(36)=が夫、二人の子どもとともに車で逃げる際、津波の犠牲になったことも分かった。

 現地で合流した会田会長からの指示は「第二(工場)の機械設備の復旧を急ぎ、製造機能を一日も早く他の二工場に引き継ぐように」。失った商品は約百三十万個分に上ったが、発注元が無償で原材料の再調達に協力。首都圏の協力工場も生産を肩代わりしてくれ、納期こそ遅れたものの昨年七月までに完納することができた。

 「資金調達が順調にいったことに加え、工場再開に当たっては手続き面で宮城県が予想以上に迅速に動いてくれた」と話す神谷社長。津波から三週間後に第一工場が一部操業を再開したのを手始めに、今年九月末までに三工場の改修・改良・増築工事が終了し、生産能力はピーク時の八割まで回復した。

 「宮城発の商品を通じて、東北の元気を伝えたい」。父親の仕事の関係で現在の宮城県柴田町で生まれた。小学校から大学まで仙台で学んだ縁もあり、被災地への思いは人一倍強い。

 “よい仕事おこし”フェアでは600を超えるブースが設けられ、東北の被災企業も出展する。東北特産品の展示即売があり、ご当地グルメも味わえる。東京新聞も出展し、新聞製作を実演する。入場無料。

 

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