東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > 東日本大震災 > ふくしま便り > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【ふくしま便り】

想定外 正断層のずれ 「浜通り地震」の見学会

1メートル以上の段差がある塩ノ平断層が延々と続く=いずれも福島県いわき市田人で

写真

 東日本大震災から一カ月後、二〇一一年四月十一日に「福島県浜通り地震」が起き、いわき市で死者四人を出した。震災後、各地で大きな地震が相次いだが、この地震は研究者が「これこそ想定外」と言うほど特異だった。今月二十一、二十二の両日、同市で開かれた講演会と現地見学会に参加した。

 この地震は、いわき市田人(たびと)の地下六キロを震源にしたマグニチュード(M)7・0の大地震だった。田人地区では約十四キロにわたって断層が現れ、ずれは最大二・一メートルにもなった。研究者を驚かせたのは、それが近年の日本では初めて出現した正断層だったことだ。しかも、東北地方太平洋沖地震に誘発されて起きた。

 講演会の講師は、地震の直後から現地で調査を続けている産業技術総合研究所(産総研)の活断層評価研究グループリーダー、宮下由香里さん。

 地震を起こした断層は、塩ノ平(ひら)断層と湯ノ岳断層という二つの断層だった。「活断層とは分かっていたが、主要活断層帯のリストには入っていない断層だった」と宮下さんは説明した。リストとは、国の地震調査研究推進本部がM7クラスの地震を起こす可能性があるとして選んだ百十の断層のことだ。

 今回の地震では、わずか数秒の違いで塩ノ平断層、湯ノ岳断層と二つの断層が活動。塩ノ平断層は北北西−南南東方向、湯ノ岳断層は北西−南東方向で、いずれも西側が滑り落ちている。

 宮下さんの調査から、湯ノ岳断層は千〜六千年前の間に一度、活動していたことが分かった。塩ノ平断層は、別の調査で前回は一万二千年より前だった。二つの断層の活動間隔は違うようだ。

 講演会後、地震発生の仕組みに詳しい産総研の今西和俊・地震テクトニクス研究グループ長に「なぜ、震災前には分からなかったのか」と聞いた。

 「日本列島は東西から圧縮されているので、正断層の地震が起きるとは考えられていなかった。調べてみると、東北地方太平洋沖地震の前から、福島県から茨城県にかけては局所的に圧縮場ではなく、正断層の小さな地震が起きていた。地震が小さく、数も少ないので、震災前は気付かなかった」と今西さんは言う。

 湯ノ岳断層は福島第一原発から五十キロ、福島第二原発からは四十キロにある。東京電力は震災前、耐震設計上、考慮する活断層とは評価していなかったが、地震の後「考慮すべきであった」という調査結果を公表している。 (福島駐在編集委員)

尾根筋で見られる塩ノ平断層。尾根道が突然、行き止まりになっている

写真

◆「塩ノ平」背丈ほどの段差

 今回の講演会と見学会は、震災遺産保全プロジェクトの一つとして、福島県立博物館が主催した。いわき市民を中心に約五十人が集まった。見学会はマイクロバス二台に分乗して、同市田人地区で塩ノ平断層を見学した。

 断層の名前にもなった塩ノ平地区。バスを降りると、断層の記念植樹が目に飛び込んできた。荒れ地を歩くと小さな池があり、その先に谷川が流れている。

 「断層が川を横切り、上流側が下がったので、水の流れがせき止められて池ができました」と宮下由香里さん。「断層池」と呼ばれる、珍しい地形だ。

 次は近くの民家の庭にバスを止めさせてもらい、里山に登る。尾根を少し歩くと、人の背の高さほどの段差が見えた。断層は崩れずに残っていた。宮下さんがネジリ鎌で表面についた土を削った。土の中にあった、握りこぶしほどの石が鋭利な刃物で切られたようになっていた。断層のすごさを感じた。

 「(名物の)たびとまんじゅうを売れば、町おこしになる」「除染なんかやるより、ここを(震災遺構として)残したい」。迫力ある断層に参加者から声が上がった。

 見学から戻ると、民家の人がお茶を用意してくれていた。見学者用トイレも造っていた。「地震の時は、鉄板の上で跳びはねるような、ドンドンというすごい音が続いた。家は全壊はしなかったが…」と話してくれた。

 最後は熊野神社奥宮に向かう。参道を横切って断層があった。杉林の中を延々と続いている。意外にも、ずれの大きさは大きくなったり、小さくなったりしていた。断層の近くにあった杉の木は傾いていた。

 今回の震災では、津波の脅威を後世に伝えようと、被害に遭った建築物の保存が注目されている。塩ノ平断層は「私たちが知らないことは多い」という教訓を伝える貴重な震災遺構だ。教育施設を併設し、保存されることを願わずにはいられない。

 

この記事を印刷する

PR情報