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【岳人】

第1特集
雪山へのステップ 必要な知識と技術

 

ステップ1

雪山に入るということ

文=天野和明

 

自由、それが雪山

 雪山の魅力はなんといっても「自由」それに尽きるでしょう。お花畑はないけれど、白と黒の静寂な水墨画のような風景、頭上には宇宙を感じさせるような濃紺の空が広がります。

 

 夏であれば藪が濃く容易に入れないようなところでも、雪に覆い尽くされた積雪期にはルートを自由に選ぶことができます。道のない山、誰も来ないようなところに入れることも雪山の大きな魅力です。

 

 すべて自分で選択できる、言い換えれば、自分の力が試されるということですが、それも雪山登山の大きな魅力です。

 

 

雪の八ヶ岳の一歩先へ

 今回は「八ヶ岳レベルから脱したい雪山登山」をテーマに進めていきたいと思います。

 

 入門者の目標とされる八ヶ岳、硫黄岳、赤岳は標高も高く、スケールも小さくなく、その寒気は国内でも指折りです。過去には数度の雪崩事故も起きているように、決して簡単な山ではありません。しかしながら、入山者数も多く、降雪直後でない限りトレースが多くの場所にあり、通年営業している赤岳鉱泉があるおかげで精神的な孤立度が低いのも事実です。八ヶ岳の硫黄岳や赤岳をテーマや目標にしたガイド記事や雑誌は多いですが、その次のステップへの足掛かりとなるようなものは多くありません。今回はあえて、その上を目指したい方々へのアドバイスとして読み進めていただくと、幸いです。

 

 

雪山の厳しさと責任

 新雪の中をラッセルしていく、下界のわだかまりはここでは一切関係なく、山と向き合い、そのことだけに集中できる、あ〜、素晴らしいですね。書いていて早く山に行きたくなります。

 

 しかし、大量降雪後の行動では、夏とは比較にならないほど時間が非常にかかるし、その分体力的な負担も増します。常に無風快晴、青空であれば良いのですが、吹雪や豪雪(北アルプスや日本海側の山ではひと晩に1mを越える降雪をみることもあります)、立っていられないほどの暴風、寒さなど、登山者を「不便で、不快で、不安」にさせる要素もたくさんあります。その「不」のついた要素を「便利で、快適で、安心」に変えていく、言い換えると困難を克服していく過程が存分に味わえます。

 

「自由」には「責任」がつきものですが、登山者の絶対数が少なく、天気も夏と比べると悪く、厳しい条件下の積雪期ではすべての判断に責任が伴います。テントを張る場所ひとつをとっても、雪崩に遭うなどのリスクを含んでいますし、救助を要請しても、悪天候下では天候、風が回復するまでしばらくは耐えなくてはなりません。良くも悪くも全てが自分次第、それこそが雪山の大きな魅力でもあり、醍醐味でもあり、また、厳しさでもあります。

 

 そのためには覚えなくては、やらなくてはいけないことは非常に多いです。チャレンジは必要ですし、トライ&エラーによって得た失敗の経験はとても大切ですが、ステップが大きすぎると、ハッキリ言って死んでしまう事もあります。山登りは不思議にも「間違ったことをしている人が必ず事故を起こすとは限らない」場合があります。それはなぜでしょうか?

 

 多くの場合「運が良いから」です。「危なっかしい、無意識に危険なことをしている人が必ず事故に遭う」のであれば、もっともっと安全に対する意識は向上するでしょう。

 

 では、運を期待し続けて山に行きますか? ケガや事故はそのほとんどが運が悪いから起こるのではなく、起こる原因(遠因)があったから必然的に起きたのです。「自然には100%の安全はない」ことを理解し、覚悟することも必要だと思います。それでも人間はミスを犯すものです。だから注意し、トレーニングし、練習し、勉強し、安全を100%に近づけるように努力をしなくてはなりません。

 

 行く場所や、季節、天候は慎重に判断し、現状の自分の力、パーティーの力を自己分析して、夢の実現に向けて足りないものを埋めていきましょう!

 

 
1998年1月、大学2年の冬、西穂高岳から槍ヶ岳を縦走中。

1998年1月、大学2年の冬、西穂高岳から槍ヶ岳を縦走中。

明治大学山岳部で身につけた雪山への考え方

「体で覚える」ことの重大さ

 明治大学山岳部では4月の残雪期から、夏の山から、全ての合宿・山行がその年の本番に位置づけられる冬山合宿にむけての訓練合宿である。例えばGW。太陽がサンサンと輝く灼熱の残雪上でも、すべての動作(トイレしか例外はない)は手袋を付けたままさせられる。一瞬外すとかはなし。これは厳冬の冬山の猛吹雪の中ででも素早く、確実にこなせるようにとの意図だ。

 

 入部したばかりの新入部員には「なぜ、この暑い中冬を意識してやらなければならないんだ!」と理不尽さを覚えるものがほとんどだと思う。しかし、冬が来て納得し、次の年の下級生には同じことを強いる。決して仕返しをしているわけではない。

 

 テント設営もまた然り。テントごとに時間設定がなされ、定められた人数でその時間内に張り終わらないと(例え数秒オーバーしただけでも)、完成してから全てキレイに撤収し、整地も元に戻し、また初めからやり直しだ。これも、猛吹雪の稜線で飛ばされないようにテントを確実に素早く設営することを、文字通り身に付ける、身体で覚えるためにひたすら繰り返されるのだ。

 

 初めて冬山に向かう前、冬山装備を身につけ、毛手袋にオーバーミトン(2本指)をし、アイゼンをつける練習をする。これも制限時間が決められていて、できるまで何十回と繰り返される。最初は全然間に合わないが、20回もやるとコツが分かり、できるようになる。行動中はアイゼンの着脱も、行動食を食べるのも、ハーネスを履くのも、ロープをつけるのもトイレ以外はすべて2本指のミトンをつけたまま。「どんな時でも手は抜かない」「練習でできないことが本番(冬山)でできるわけがない」「どんなに切羽詰まった状況でも確実にできる事こそが身に付いたこと」「すべて体で覚えて習慣化させる」。

 

 こうして書いてみると他のスポーツでは当たり前のことだと思うが、山ではこういった理念は最近流行らないようだ。しかし、僕が学んだ「危険や山に対する考え方」や「魂のこもった情熱」はその後の自分自身の登山においての礎になっていることは間違いない。