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【結いの心】

眠らぬ街(1) つながり希薄な労使

2008年6月12日

深夜仕事を終え、通勤バスを降り帰宅する期間従業員ら=愛知県豊田市で

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 午前二時。闇に包まれた愛知県豊田市。トヨタの寮に、バスが次々に着く。夜勤を終えた期間従業員たちが降り立ち、無言でコンビニ店や寮舎に散っていく。

 九州出身の男性(24)は、期間従業員になった理由を「正社員だと、責任ものしかかってくるしね」。二度目の契約だが、この二年半は寮と工場の往復だけ。「街の印象なんて、あまりないなあ」。いずれは東京で歌手になるのが夢という。

 トヨタ本社近くで七十年、親子二代にわたり「トヨタ屋食堂」を営む林勇(74)は、店の前の通りが「トヨタ銀座」と呼ばれた昭和のころを思い起こす。

 店の前は歩いて帰る従業員で埋まった。「おふくろの味や」。地方出身の従業員が何杯もお代わりした。「また来るでよ」と、あいさつし帰省していったものだ。今の街を「人口は増えたけど街に人がおらんくなった」と寂しく見つめる。

 日付が替わり、トヨタの工場が止まった深夜の街では、下請け工場の明かりがともり続ける。

 日系ブラジル人のダ・シルバ(41)は六年間、町工場で働いた。重労働で社会保険もなく派遣のままで時給も同じだった。日本人が現場にいない夜、母国の同僚がプレス機械に挟まれ死亡した。

 事故を機に昨夏、仲間と労組を立ち上げると、会社から「政治・思想活動は行いません」などと書かれた誓約書へのサインを迫られ、拒むと解雇された。「同じ人間なのに、ぼくたち外国人は使い捨てなのか」と問い掛ける。

 ある派遣会社の社長(59)は「社会保険を負担すれば、下請け企業のもうけはゼロ。使う者のことを考える余裕なんてない」と打ち明けた。

 トヨタを支える夜の町工場が、外国人労働者であふれるころ。両親が働きに出て不在になる家庭の子どもたちが、夜の公園で仲間同士、時間をつぶす。学校に行かず、昼夜、自宅にこもる子も少なくない。

 そんな子どもたちのための日本語教室「トルシーダ」(ポルトガル語で「応援」の意)を市内で開く伊東浄(きよ)江(50)は「人がどんどん他人に無関心になっている」と嘆く。

 電車でお年寄りや妊婦を立たせ、誰も席を譲らない。三年間暮らしたインドネシアの方が、むしろ「当たり前の優しさ」を人がもっていた。

 この春、相談に来た日系ブラジル人少年が、地元中学に入学することができた。「十五歳を過ぎている」。それだけの理由で拒否されたのを、市に頼み込み「特例」でやっと認めてもらった。

 目を輝かせ、たどたどしい日本語で喜びを伝えた少年のひと言が心に残る。「センセイ、一億回アリガトウ」。子どもたちを、一人でも多く支えたい、と伊東は思う。誰のためでもない。一人一人と絆(きずな)を結ぶ自分が「幸せ」を感じるために。

  =文中敬称略

   ×  ×

 巨大企業が二年間で四兆円の営業利益を積み上げる一方で、下請け企業との絆、原点の志を忘れていく。そのおひざ元の街もまた、使い捨ての労働力とされた人たちが地域とのつながりをなくし、希望を見失っている。「トヨタの足元」に続く「眠らぬ街」では、企業城下町に問われる「結いの心」を考える。

  <豊田市> 1937年にトヨタが旧挙母(ころも)町に本社工場を建設。「挙母市」から59年、全国で初めて企業名を地名とする「豊田市」に。トヨタの主力7工場をはじめ関連の約390工場が立地。家族を含め、住民の7割近くが自動車産業と関連を持つ。人口約42万人。外国人登録者が約1万6000人。

 

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