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【公共事業を問う】

【第一部】翻弄される人々(3) 生活再建のいま 『お金湯水のよう』

2009年12月7日

紅葉のころ、吾妻川から建設中の県道の橋を撮影する観光客ら=群馬県長野原町で

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 山の急坂を車で上ると、クリーム色の近代的な外観の建物が目に飛び込んできた。

 群馬県長野原町の小学校。照明付き運動場と屋内プールも備える。七年前、八ッ場ダムの水没予定地にあった木造校舎の代わりに代替地に建てられたが、住民の町外への移転が続き、五十四人いた児童は二十二人に急減した。

 建設費は国が十一億六千万円、ダムの恩恵を受ける関東一都四県が一億五千万円を負担した。国との補償交渉などを担当した「水没関係五地区連合対策委員会」の篠原憲一事務局長(68)が説明する。

 「住宅や農地、学校など、水没するものはすべて国が補償する。そのほか、県がわれわれの要望を盛り込んだ生活再建案を組んだ。そのお金は下流の都県で出しますよ、ということで進んできた」

 県の生活再建案に基づき国は一九九五年、ダム周辺の整備計画を策定。国と下流の五都県の負担は九百九十七億円で、昨年度までに五百十三億円が使われた。道路整備、土地改良、運動公園、集会所などメニューは六十二事業に及ぶ。篠原さんが振り返る。

 「各地区の委員会で毎晩のように会議を開いて中身を考えた。県は『何でもいいから好きなことを言え』と言って。しかも会議に出れば国から一人四千円の日当が出るので、前は大勢の人が来た」

 国はその前年から、道路や橋などダムの付帯工事に着手。総事業費は当初の二千百億円から四千六百億円へと倍増したが、生活再建関連の増額が千百億円と最も多かった。水没予定地区に住む四十代の女性が打ち明ける。

 「ダム反対のころは町内の国道は穴だらけだったのに、受け入れたとたん、道路も橋もよくなった。湯水のようにお金が出て、『みんなでまちづくりを考えましょう』という雰囲気だった」

 来年完成予定の国道沿いには道の駅や温泉施設の構想がある。篠原さんは「われわれはダム湖畔の観光に希望を持っていた。だが、中止になれば下流(の都県)が負担をするわけない。『それは無駄だ』と言われる」とため息をついた。

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 「ダムはいらないと思っていたけど、国土交通省はあきらめない。造る方向でしか、幸せの道がなかった」

 川原湯地区で旅館を営む豊田拓司さん(57)は、自然を壊すダムに反対の気持ちが強かった。だが、山や沢がコンクリートに埋まっていくのを見て、代替地に地元の雑木を植えることなどを提言するようになった。

 「いい生活空間を造っていくには、積極的にかかわっていくしかない」。ずっとそう思っていただけに、鳩山政権の中止方針を聞いて「頭が晴れた。こんなにすっきりするのかと思った」と言う。

 「再建をしなきゃという気持ちで、前ばかり見てきた。でも振り返ると、国交省にもてあそばれている感じで腹が立ってきた」

 水没予定地の住民は大半が古里を離れた。「ダムは造っても造らなくてもいい。生活再建だけちゃんとしてもらえば」。古里に残った人々の思いが山あいに広がった。

<下流都県の負担> 東京、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬の6都県は総事業費4600億円への負担金として、昨年度までに利水関連1460億円、治水関連525億円を支出した。これと別に、栃木を除く5都県や国は、地元住民の生活再建を助ける水源地域整備計画で、これまで513億円を拠出した。5都県が支出する利根川・荒川水源地域対策基金による八ッ場ダム関連事業は178億円を見込み、既に41億円が費やされた。

 

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