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【公共事業を問う】

【第一部】翻弄される人々(4) 『見直し』対象ダム 崩れた村自立の夢

2009年12月8日

堤防の建設が進む湯西川ダムの工事現場=栃木県日光市で、本社ヘリ「わかづる」から

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 煌々(こうこう)とした照明を浴びて、川をせき止めるための分厚い堤防の工事が夜通し続く。栃木県日光市。合併前、県内最後の村だった旧栗山村で、戦後四つ目となる湯西川ダムの工事が進む。二年後の完成を待つばかりだったが、政権交代で見直し対象となり、地元は大きく揺れる。

 「予定通り完成しないのであれば、清流や渓谷を守ってほしい」。十一月上旬、現地を視察した民主党の国会議員や県議らに、湯西川温泉旅館組合長の伴久一さん(63)は訴えた。温泉はダムのすぐ上流にあり、イワナが釣れる清流や紅葉は大切な観光資源だ。

 「認めた経緯があるので、ダムを造るなとは言えないが、期待したほど観光開発や道路整備はされなかった。水没地には金を落とすが、こちらの要望は聞いてもらえなかった」と伴さん。政権交代の結果、温泉街では我慢していた本音が漏れるようになった。

 日光市は十一月下旬、ダムの地元の三地区で意見集約会を開いた。水没予定地の二つの地区は「これまでの住民の犠牲を無駄にしないでほしい」とダム推進で一致。すでに百三十八戸のうち六割が離村し過疎化が進む。

 一方、温泉街を含む上流地区ではダム賛成派に交じり「道路などの生活再建事業は進めつつ、自然は残してほしい」「渓流がなくなると、客が来るか不安」などの声が出始めた。

 ある温泉旅館の女将(おかみ)が打ち明ける。「今までダムができるとあきらめていたけど、八ッ場ダムが見直しになり、温泉組合では『清流を取り戻せるのでは』という話が持ち上がった。村には工事の下請けで仕事をしている人もいるので、川だけは残してもらおうじゃないかとなった」

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 これまでダム建設が大きな反対もなく進んだのは、ダムがもたらす巨額の金で、当時の村長らが村の自立を目指したからだった。

 「ダムは村にとって百年の大計。合併しないでやっていくためには、湯西川ダムを誘致する」。一九七九年から二〇〇二年まで二十四年もの間、村長を務めた故斎藤喜美男さんは口癖のように夢を語った。だが、現実は違った。

 七〇年代半ばに三千人台だった人口は減り続け、今は旧栗山村は千七百七十人。小泉政権の三位一体改革による地方交付税の削減が財政を直撃。斎藤さんが〇五年に世を去った翌年、村は合併の道を選んだ。

 隣の今市市(現日光市)市長から県知事を務めた民主党の福田昭夫衆院議員(61)は、斎藤さんの口癖を何度も聞いたことがあった。「以前は斎藤さんの夢ということで反対しなかったが、水没地の三分の二の住民が村外に移転した今、百年の大計は崩れた」と福田議員。衆院議員になってからは反対するようになった。

 福田議員は強調する。「村はダムに依存したが、成功したとはいえない。観光や温泉で生きていくというなら川を残すか、ダムを残すかは重要な判断となる。残った住民に何が必要か。政治はそれを考える必要がある」

<湯西川ダム> 栃木県北西部の山間部の旧栗山村は、鬼怒川水系の源流部に位置し、すでに五十里(いかり)ダム(1957年完成)、川俣ダム(66年)、川治ダム(84年)の3ダムがある。湯西川ダムは洪水対策や千葉、茨城両県と宇都宮市に水道用水などを供給するのが目的。2004年に基本計画が変更され、総事業費が880億円から1840億円に倍増。ダムの高さは130メートルから11メートル低くなった。

 

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