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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(8)900通余の最初の一通

恵喜が名古屋での事件後に出した最初の一通

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 使ったグラスやテーブルの上をタオルで入念に拭う。衣服は少し乱した。これで暴行目的に見えるだろう。

 二〇〇二年三月十四日未明、名古屋・栄のスナック「パティオ」。ママの千葉春江(61)を絞殺した武藤恵喜(ぶとうけいき)は、凶行の後始末を終え、店を出た。

 早く遠くへ逃げよう、とは思わず、まずはタクシーで名古屋駅近くへ。サウナに入店し、ひと眠りした。恐らく、この時点で春江を殺(あや)めて得た八千円は半分以上が消えたはずだ。

 後始末をうまくやれたと思い込んだ恵喜は、その後も、無銭飲食や盗みを繰り返しながら名古屋をうろつく。

 実はパティオで飲んだビール瓶に指紋の拭き残しがあり、愛知県警は早々にその名を割り出していた。二日後の十六日夕、名古屋・金山の駅前で恵喜は捜索中の警官に呼び止められる。

 このとき五十二歳。うち二十三年十カ月が刑務所暮らし。まだ恵喜は知らなかったが、以降、二度と塀の外を歩くことはなかった。

 恵喜の十歳年下で、同じころ、詐欺事件で捕まった沢田竜一(仮名)は逮捕直後の恵喜を最もよく知る男だ。この年の四月半ばから七月まで名古屋・中署の留置場の同じ房ですごした。

 沢田はクリスチャン。古ぼけた一冊の聖書を持ち込んでいた。

 恵喜はそれに興味を覚え、暇があると耽読(たんどく)した。「牧師ってどういう人がなれるんだい」。沢田にそう尋ねたこともある。

 恵喜は後に支援者にこんなエピソードを明かしている。

 「愛のない言葉は人の心に届かない」。中学生のころ、家のラジオで聞いた宗教番組のこんな言葉が忘れられない−。

 事件後、昔の記憶を呼び覚まし、自身の罪を心から反省したのだろうか。

 そうでもない。恵喜は沢田に事件のことをこう語っている。「債権回収に行ったら、ママと口論になり、何かの拍子に倒れて気絶した…」。相変わらずのうそ。

 ただ、何を思ったか、恵喜は一通の手紙を書く。

 五月初め、名古屋市の牧師、戸田裕(80)がその封を開けた。「私は殺人という大罪を犯し、中警察署で取り調べを受けています(中略)死刑に近いところにいます」

 恵喜が幾つもの新たな出会いに導かれ、書きつづっていくことになる九百通余の最初の一通だった。 (敬称略)

 =続く(この連載は一月中旬に再開します)

 

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