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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(15)二審極刑…ぼうぜん

「死刑…」。恵喜は法廷外の暗い廊下をふらつき歩いた(写真はイメージ)

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 武藤恵喜(ぶとうけいき)はすぐには返答しなかった。検察の死刑求刑に対し、名古屋地裁が下した「無期懲役」。その判決から二カ月がすぎた二〇〇三年七月、名古屋拘置所の面会室で弁護士の太田寛は初めて顔を合わせた恵喜にこう助言した。「強盗殺人の事実関係を争うのはやめましょう」

 名古屋高裁での控訴審の開始を控え、新たに国選で付いた弁護士が太田だ。当時、脂の乗った四十五歳。環境問題などの民事を得意としてきたが、仕事の幅を広げようと国選の刑事裁判も進んで引き受けていたころ。初めての死刑求刑事件はキャリアを積む好機とも感じていた。

 一審の途中、恵喜は金目当てではなかったと強盗殺人を否認している。しかし、判決はそんな態度を「反省の情に乏しい」と切り捨てた。ならば高裁では反省を示せばいい−。太田は有期刑への減軽を狙って、そう戦略を練った。

 恵喜にとっては一審での否認がうそだったことになる。しばしためらったが、間もなく「それでお願いします」とうなずく。

 特段の争点がない控訴審はその秋、わずか二回の公判で結審する。

 太田は恵喜が牧師の戸田裕へあて「死んで償いたい」などと記した手紙を法廷に出した。直前には恵喜が須藤正夫(仮名)へ初めての手紙を書く。自ら殺(あや)めたスナックママ、千葉春江の事実婚の夫への一通は贖罪(しょくざい)の心の証しと主張した。

 一方、逆転「死刑」を目指す検察は恵喜への憎しみと一審判決への不満という遺族の思いを文書にまとめ、対抗した。正夫は「今でも考えるのは春江のことばかり」といい「絶対に死刑に」と求めた。恵喜から届いた手紙は鼻をかんで捨てていた。

 そして〇四年二月六日、高裁判決が出る。

 「死刑」−。

 そのころ世間では「厳罰化」の流れが強まってはいたのだが、恵喜も太田も予想だにしない結果だった。

 判決後、法廷を出た恵喜は、廊下で目まいに襲われた。「恐怖と不安の入り交じった、耐え難い気持ちになった」。三日ほどぼうぜんと過ごし、戸田への手紙にそうしたためた。

 「無償でいいから弁護を続けたい」。太田の強い勧めもあり、恵喜は最高裁に上告する。以降、恵喜は刑死の恐怖と不安を感じ続けることになる。そして、意外なことにぬくもりを…。 (敬称略)

 

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