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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(17)親子になった2人

真智子は名古屋市にある北東北の観光案内所から故郷のパンフレットを持ち帰り、恵喜に差し入れたこともある

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 恵喜にとって数十通の手紙の中、その一通だけが「温かかった」という。

 高裁で死刑を宣告された恵喜の元には見知らぬ相手から支援を申し出る手紙が続々と届くようになっていた。事務的なものや、中には支援してやる、というふうに感じられるものもあったのだろう。キリスト教の信徒仲間で、「兄貴」と慕った小川健司に後日明かしているのだが、恵喜はほとんどに「反感」を覚えて読み捨てた。返事をしたためたのは一通のみ。

 差出人は「加納真智子(名は仮名)」。女性だろうが、年齢も詳しい経歴も分からない。「出そうか出すまいか、さんざん迷った」。恵喜への励ましに加え、文面には書き手の心情がにじんでいた。

 間もなく真智子から返信が届き、恵喜は一読して目を見張る。

 ◇ 

 「人付き合いばかりか、何をするにも人より何倍も日数の要する人間ですから、手紙をいただいた時は本当に嬉(うれ)しく、心からお礼申し上げます」

 二人を殺めた恵喜。真智子はそんな男に向けて丁寧に感謝の言葉を並べた。恵喜こそ嬉しかったに違いない。「兄貴」小川健司に打ち明けている。「たった一通出した人が加納さんのような人で驚きです」

 真智子は当時、恵喜と同学年にあたる五十四歳。兵庫県に暮らす主婦だった。

 仲の良かった友人らによると、津軽平野の真ん中、青森県五所川原市に生まれた。リンゴ農家の四姉妹の三女。一度、見合いで結婚したが別れ、地元のホテルで働いていた四十代半ば、兵庫県から旅行に来た高校の数学教師と出会う。山野で白く小さな花を付けるヒトリシズカの話をしたのをきっかけに親しくなり、間もなく夫婦になった。

 実家とはもともと折り合いが悪く、再婚で故郷を去ると、もう寄り付くことはなかった。しかし、新天地での暮らしも思い通りとはいかない。ふだん優しい夫は心が不安定なところがあったといい、真智子は徐々にすきま風を感じるようになる。後に友人への手紙に夫への愚痴をつづり、こう続けた。「家庭というものに縁がないのかもしれません」

 ちょうど五十の年、真智子はキリスト教の信徒になる。所属する教会で、ハンセン病の元患者や死刑囚の支援にも取り組み始めた。

 「人生に課題を持って生きたい」。よくそんなことを周りに言った。

 新しい課題のひとつ。恵喜に手紙を出したのも、はじめはそんな気持ちだったのかもしれない。

 名古屋高裁での死刑判決から三カ月がすぎた二〇〇四年五月、ひんぱんな手紙のやりとりを経て、二人は名古屋拘置所で初めて顔を合わせた。

 家族を裏切り続け、そのきずなを失った男と、理想の家族をつくれなかった女性。どんな言葉を交わしたのか、今となっては手掛かりはない。ただ、面会からわずか二カ月後、二人は養子縁組を結び母子になる。 (敬称略)

 

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