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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(19)弱い者同士と願って

真智子は恵喜との面会帰り、障害者の作業所が路上販売するパンをよく買った=名古屋市東区のJR大曽根駅で

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 恵喜の母となった二〇〇四年の夏から半年はすぎていた。加納真智子(名前は仮名)は夫との仲がこじれ、新大阪駅からひと駅のワンルームマンションで独り暮らしを始める。

 近所の女友だちが廊下の窓から顔をのぞかせ、玄関をうかがう真智子を目にしたことがある。

 「何してるの」

 「郵便屋さんを待ってるの」。真智子は毎日のように恵喜から届く手紙を心待ちにしていた。

 ただ、牧師の向井武子や友人に悩みを吐露するようになったのもこのころ。「恵喜さん、わたし以外にも女性と文通してるみたい」。思い余った真智子は面会で涙ながらに迫ったという。「最後まで面倒を見てくれるのは誰だと思うの」

 恵喜は「心配かけてごめん」と謝った。

 友人たちは情に流されていると、たしなめたが、〇五年十二月、真智子はついに名古屋へと引っ越す。拘置所から一キロちょっとのマンション。新幹線を使っても二時間ほどかかった二人の距離は自転車で数分に縮まった。

 面会は連日に。恵喜の衣類を洗濯し、恵喜の好んだ甘い菓子を差し入れた。

 貯金を取り崩しながらの暮らしは無論、楽ではない。友人への手紙に記している。名古屋で初めて迎えた春。恵喜用のついでに自分のためのTシャツも「買っちゃった」。四つ葉のクローバーをあしらった千円のやつ。「たまに新品のは気分いいです」

 真智子は自らを「弱い」と公言していた。そして恵喜も「弱い」のだと。「狭い独房の中では生きていることの方がつらいかもしれない。そのつらさも償いのうちに入ると思う」といい、恵喜のために願った。「弱い者同士、寄り添いつつ共に生きていきたい」

 が、それもむなしく〇七年一月、真智子は名古屋での暮らしを一年ほどで終え、大阪へ戻ることになる。体調を崩し、検査入院した名古屋の病院で告げられた。「がん」。既に乳房から肝臓に転移しており、完治は難しかった。

 真智子は大阪へ転院する一週間前の面会まで恵喜に黙っていた。「もう来られないから、誰かいい人がいたら、その人と縁組して」

 「それをしたら、武士の一分が立ち申さん」。冗談めかした恵喜の返事に真智子は泣きながら笑った。 (敬称略)

 

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