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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(20)生きて償いましょう

「加納恵喜については宜(よろ)しくお願いします」。真智子は湯山への便りでいつも恵喜を案じていた

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 加納真智子(名は仮名)は二〇〇七年一月、名古屋を去り、大阪市内のマンションに落ち着く。「夏まで持てば…」。通院先の医師にそう告げられた。抗がん剤治療のため髪の毛が抜け、顔はむくんでいく。一日中、床に伏すことも増えたが、恵喜(けいき)への連日の手紙や、週に一度の面会はやめようとしなかった。

 苦しみながらも生き続ける−。それが恵喜の償いと信じる真智子は自らの病を知ってなお、恵喜を案じていた。

 最高裁での上告審が続く中、真智子には恵喜が「死刑」に逃げようとしているように思えたからだ。

 大阪に戻ってしばらく、真智子はこんな手紙を出している。「先にとらわれず、今生きていられることに感謝して、すごしていこうねって話し合っています」

 宛先は東京の弁護士、湯山孝弘。四十九歳と真智子より七つ若いが、恵喜が生きていくことを願う“同志”だった。

 さかのぼること二年半。名古屋高裁での死刑判決から半年がすぎた〇四年八月、体を壊した前任の太田寛に代わり、上告審での恵喜の国選弁護を引き受けたのが湯山だ。

 「ふつうのおじさんだなぁ」。名古屋拘置所の面会室で初めて恵喜と会った湯山はそんな印象を覚えたという。

 ノートパソコンを開き、恵喜の話を打ち込んでいく。「償いが一番つらいし、生きていくのがつらい…」。二人を殺(あや)めた「おじさん」は随分と投げやりに見えた。

 確かによほどの新証拠でも出ない限り、上告審で高裁の死刑判決が覆ることはほとんどない。あきらめ、だろうか。面会を重ねるに連れ、恵喜はしばしば「もう死刑でいい。上告を取り下げたい」と口にするようになる。

 そのたび「そんなのやめて」と懇願したのが真智子。湯山も叱った。「反省が足らん。生きて償いましょうよ」

 もちろん、湯山とて、この上告審が厳しい闘いであることは重々承知していた。だが、負けたくない。

 三千ページは超える裁判資料。弁護が決まってから毎夜、日付が変わるまで読み込んだ。

 信じられなかった。「なんでこれで死刑なのか」

 (敬称略)

 

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