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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(23)極刑は遺族のため

名古屋拘置所の面会室へ続く入り口。恵喜は大抵、雄弁だった=名古屋市東区で

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 弁護士の湯山孝弘は、会話を盛り上げる手がかりにでもなれば、というつもりだった。記憶は定かでないが、二〇〇四年の秋から冬にかけて。持論の死刑廃止論を話題に振った湯山に対し、加納恵喜(けいき)の反応は意外なものだった。「死刑はあった方がいい」

 名古屋高裁での死刑判決を覆すべく、上告審の準備をしていた最中である。審理では死刑とは人権の根幹を成す命を奪うものであり、憲法違反だとも主張するつもりだった。このころ、しばしば「もう死刑でいい」と言い、湯山や養子縁組した母、真智子(仮名)に叱られていた恵喜だが、制度自体に賛成とは…。

 以来、面会や手紙で二人の死刑談議は続くが、湯山がいくら廃止論をぶっても恵喜はうなずかない。まず、死刑に代わり得る刑罰がないという。仮釈放のない終身刑はどうかと水を向けても「希望のない生活を続けていくのは耐えられない」。成人後の人生の大半を塀の中ですごしてきた恵喜ならではの意見ではある。

 そして、こうも口にした。「加害者は一日も早く忘れたいが、遺族は一生忘れられない。俺の死刑のボタンは遺族に押させてやってくれ」。つまり、遺族の無念を晴らすためには死刑も必要というわけだ。

 「ボタン」は極端にしろ、世が厳罰化に流れる中、遺族感情への配慮を求める声は根強い。〇〇年には一連の司法改革で、遺族が裁判を優先して傍聴し、法廷で意見を述べることも可能になった。恵喜と同じ死刑賛成派が初めて八割を超えた〇四年の内閣府の世論調査では賛成派の半数が「廃止したら家族の気持ちが収まらない」ことを理由に挙げている。

 理不尽に身内を殺された遺族の怒りがどれほどのものか。恵喜は〇二年五月、名古屋地裁での初公判で、自らが殺(あや)めたスナックママの事実婚の夫に殴られたことがある。それに彼らのこともよく知っていた。

 一九九四年に愛知、岐阜、大阪で計四人を殺害する連続リンチ事件を起こした当時十八、十九歳の元少年三人。〇四年、二十代後半となり、名古屋高裁で審理中だった元少年たちは、恵喜と同じ名古屋拘置所に入っていた。恵喜によると、うち一人とは手紙のやりとりがあったという。その彼らもまた、遺族の峻烈(しゅんれつ)な怒りを浴び続けていた。 (敬称略)

 

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