東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > アーカイブ2014 > 二月二十一日 ある死刑囚の記録 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(24)希望は「目には目を」

江崎は殺された息子の遺影に毎朝、欠かさず手を合わせる=愛知県一宮市で

写真

 事件はひどいものだった。加納恵喜(けいき)が気に掛けていた同じ名古屋拘置所ですごす三人の元少年。一九九四年に愛知、岐阜、大阪でカネ目当てや、ちょっとしたいさかいから四人もの命を容赦なく奪った。

 犠牲者の一人、十九歳だった江崎正史(まさふみ)はボウリング場で偶然、目が合ったぐらいのことで、一緒にいた友人とともに金属パイプでめった打ちにされ、岐阜の長良川河川敷に捨てられた。

 二〇〇五年三月、名古屋高裁での三人の控訴審。遺族のための意見陳述の場で、正史の父、恭平(69)が口を開く。裁判官に思いが伝わるよう、ゆっくりと、はっきりと。「わたしは貴様らが出てくることを望んでいない」

 そのかいあってか、七カ月後の判決は三人とも死刑だった。〇一年七月の名古屋地裁で、うち二人が無期懲役とされていた無念をこんどは感じずに済んだ。三人は上告したが一一年、死刑が確定する。

 恭平のもとには逮捕後、三人から両手に余る謝罪の手紙が送られていた。「きれいごと」としか思えぬそれに目を通してきたのは、法廷での「うそ」を暴く手掛かりがあればと期待したからこそ。死刑と定まった後に来た一通は封筒に赤字で「拒否」と書き、突き返した。妻のテルミ(68)が言う。「もう必要ない。あとは刑が執行されるのが一番の償いなんです」

 恭平は思う。正史が生きていたら家族を持ち、家中を孫が走り回っていたかもしれない。「目には目を、という感情を持って当たり前」。奪われた命とつり合う罰は命を奪う死刑以外に無い。遺族にとってそれは「希望」だという。

 制度を是とし「もう死刑でいい」という恵喜。養子縁組の母、真智子(仮名)は「生きて償ってほしい」と願ってきたが、一方で悩んでもいた。弁護士の湯山孝弘への手紙に書いている。「死刑廃止の願いは遺族のことを考えたうえで始まる」。やがて病に倒れたこともあり、実現こそしなかったが、恵喜が殺(あや)めたスナックママの遺族に直接会って謝りたいと相談もしていた。

 〇六年七月、そんな真智子は名古屋拘置所の面会待合室で偶然、一人の男性と出会う。原田正治。ある事件で弟を殺された遺族だった。 (敬称略)

 

この記事を印刷する

PR情報