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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(27)亡くした辛さ知る

真智子の葬儀会場。恵喜と出会ったころに通っていた教会で営まれた=兵庫県内で

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 養子縁組した息子、加納恵喜(けいき)が最高裁で上告棄却され、死刑囚となってから一年。真智子(仮名)は二〇〇八年の春を迎えていた。医師から前年の夏ごろまでと告げられていた余命をどうにか、つないできたが、がん細胞は骨まで転移し、もう歩くのも、つらい。

 四月のある日、連絡がつかないのを心配した友人が警察に頼み、真智子の部屋のドアを開けると、ベッドで意識を失っていた。

 連日あった手紙が途絶え、恵喜も異変を察する。だが、塀の中では何もできない。案ずる思いを手紙に込めた。笑わせたかったのか、ちょっと冗談っぽく。「気持ちは真智子(原文は実名)さんのところへ日参しています。テレパシーを感じるでしょ」。日付は五月一日。真智子が読むことはなかった。

 その日午後七時九分。通っていた教会の牧師らに見守られ、真智子は入院先の病院で息を引き取った。

 恵喜と真智子は同級生に当たるが、生まれ月の違いで年齢が重なるのは三〜五月の春の間だけ。生前の真智子はそのひとときを「同じ年だね」と無邪気に喜んでいたという。ともに五十八歳の春。この先、真智子が年を刻むことはない。

 「ちょっと早すぎるよ…」。その死を知った夜、恵喜は名古屋拘置所の房の中で、頭から布団をかぶって泣き続けたという。訃報を送ってくれた真智子の友人への返信にこうある。

 「愛する者を亡くした人の心の辛(つら)さを初めて知りました。(自分が殺した被害者の)遺族に対して心のどこかに『俺が命を持って償いをするから、それでいい』という気持ちがありましたが、私の思い上がりでした。真智子さんは身をもって教えてくれました」

 もう死刑でいい。遺族にボタンを押させろ…。投げやりにも見える恵喜の態度を、真智子は「生きて償うことから逃げている」と叱ってきた。

 「恵喜さんへ…」。死の数日前、ペンも持てなくなった真智子の最後の一通を代筆した病院関係者が覚えている。「大福でも何でも好きなものを食べて、私の分も元気で生きてね」

 小さな葬式。恵喜に代わって参列した支援者の一人が後日の面会で、ケータイで撮った遺影を見せた。刑死を待つ恵喜に、その柔らかなまなざしが注がれることはもうない。 

  (敬称略)

 

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