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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(31)流れ作業のようには

鳩山は法相在任中、執行した死刑囚の氏名や犯罪事実を公表するなど、情報公開も進めた=東京・永田町の衆院第2議員会館で

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 加納恵喜(けいき)の日記によると、二〇〇八年十一月五日のことだ。

 ふだん通りに朝食を取り、午前中の運動の時間を待つ緩慢なひととき。数人と思(おぼ)しき足音が恵喜の房の前で止まる。フロア担当のなじみの刑務官はいない。ついに来たか。「執行ですか。少し、部屋を片付けるので待ってください」

 だが、違った。死刑囚に対する「捜検」だという。畳までひっくり返す房内の抜き打ち検査のことをそう呼ぶ。以前からあったが、名古屋拘置所ではその秋、なぜか、月一から週一へと回数が増えていた。従来なら、まだ先のはずだったから、早とちりもする。

 「心臓にも悪いし、頭もへんてこになります。(中略)いじめのようなものです」。交流する市原信太郎一家への手紙で、恵喜は珍しく怒りをあらわにした。

 刑事訴訟法では、死刑の確定後、半年以内の執行が定められているが、そのころで七〜八年かかるのがふつうだった。恵喜の死刑確定は〇七年四月。はた目にはまだ、余裕があったが、恵喜の心境は違っていた。

 〇八年九月の市原一家への手紙にこうある。「私の思っているより(死刑囚の執行が)早く進んでいますから、私もそれほど遠いとは思っていません」

 無理もない。〇八年に死刑が執行されたのは十五人と、それまでの三十年で最多を数えた。

 うち十人の執行命令に法相としてサインしたのが、鳩山邦夫。〇七年九月、「死刑を自動的に執行できる方法はないか」という、いわゆる「ベルトコンベヤー発言」で物議を醸した。鳩山は「(執行時期を定めた)法律が守られていないのは正義に反すると言いたかった」と当時を振り返り、「今でも正しいと思っている」と断言する。

 「もう死刑でいい」と言い放ってきた恵喜だが、〇八年春に鳩山へ苦情を申し立てている。支援者への手紙に記しているが、死刑囚が執行後に臓器を提供できる制度づくりなどを求めた。「救ってあげられる人がいたら、自分の贖罪(しょくざい)にもなる」。ただコンベヤーに載せられ、流れ作業のように死を迎えたくはない−。そんな思いが大臣に届いたかどうか。鳩山は恵喜の名に「覚えはない」という。 (敬称略)

 

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