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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(39)出会った人々追憶

教会に安置されている恵喜の遺骨=名古屋市昭和区で

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 肉親との縁はとうに断たれ、養子縁組した母、真智子(仮名)も既にない。加納恵喜(けいき)の遺体は名古屋拘置所が火葬し、遺骨は所属したキリスト教会に引き取られた。

 執行から二週間余り。名古屋市内の教会で小さな葬送式があった。参列したのは、獄中の恵喜と向き合ってきた二十人ほど。もちろん、十年近く交流してきた牧師の市原信太郎一家もいる。祭壇には一家の一人娘、むうちゃん手書きの恵喜の似顔絵が飾られた。「2月21日にしんじゃった 62さいにしんじゃった」。たどたどしい文字に囲まれ、恵喜は笑っていた。

 式の途中、あいさつに立った信太郎は真智子やまな娘を例に挙げ、こう言った。「恵喜さんを変えたのは彼が(死刑という)罰に直面したからではなく、多くの人々との出会いがあったから」

 名古屋でスナックママを殺(あや)めた事件後、恵喜が獄中からの最初の一通を出した牧師の戸田裕(80)は式場で、恵喜との問答を思い返していた。「命をもって償う」「そんなに重い命なら、なぜ簡単に消したんだ」。数年前に教会の仕事は引退。二〇〇七年春、恵喜が死刑囚となり、外部との交流が制限されてからは疎遠になっていた。「彼は命の重みを分かったのだろうか…」。答えは出ない。

 逮捕直後の恵喜と留置場で同房となり、恵喜がキリスト教と出会うきっかけになったクリスチャンの沢田竜一(54)=仮名=は式に出ていない。塀の外へ出て七年。今は仕事を得て、家族三人でささやかに暮らす。出所後、面会を求めても「過去を忘れて生きてほしい」と恵喜はあえて拒絶した。その死は執行翌日のニュースで知った。ショックだった。「刑務所で何十年もすごした経験を伝えるのも償いの一つではないか。生きていてほしかった」

 参列者には恵喜が「仙人」と呼んだ男性(70)もいた。恵喜とは時期も場所もかぶっていないが、仙人も塀の中にいたことがある。五十歳を過ぎて出所後、更生施設で暮らしながら仕事を見つけて自立した。今は死刑囚やホームレス支援に携わり、死刑確定前の恵喜とも面会を重ねてきた。二度の殺人を犯した恵喜に同情はしない。ただ「どこかで、だれかに相談していれば…」とは思う。

 獄中で触れた、さまざまな人のぬくもり。「もっと早く出会いたかった」。恵喜はよく言っていた。 (敬称略)

 

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