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【御料牧場の四季 皇室の農を探る】

[第2回](上)若駒、駆け出す 宮中の大役担い調教

丸く囲まれた柵の中で調教される「島寿」。将来の宮中行事での大役が期待されている=栃木県高根沢町の御料牧場で(内山田正夫撮影)

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 天皇陛下の退位日が決まり、代替わりに向けた動きが本格化する。時代の変わり目にあっても、栃木県の丘陵地に広がる宮内庁御料牧場では、子馬たちが成長し、いつもと同様、とれたての牛乳や野菜が皇居へ届けられている。歴代天皇が主催する宮中行事を陰で支えてきた牧場の役割は、時を超えてたゆまなく続く。晩秋に入り、冬の備えに入った牧場を紹介する。 (この連載は小川直人、高橋淳、蒲敏哉が担当します)

 「よし、いい子だ」。子馬の駆ける音といななきが響く。牧草地を囲むメタセコイアが紅葉で赤く染まるころ、宮中行事で将来活躍する馬たちの初期調教が始まる。

 一歳の雌馬「島寿(しまひさ)」は十一月中旬、厩舎(きゅうしゃ)で初めて背中にクラを乗せた。クラをたたかれ、揺らされ、最初は不安そうなそぶりを見せるも飼育員の声に、落ち着きを取り戻した。

 皇室にとって馬は特別な存在だ。天皇陛下は皇太子時代、学習院高等科の馬術部主将を務め、一九五一年には第一回関東高校馬術トーナメントで優勝された。

 当時、御料牧場は千葉県・三里塚にあり、白馬「白雪」に乗り草原をさっそうと駆け抜ける天皇陛下の姿が記録に残されている。 

 牧場は初期の日本競馬界をリードした。三二年の第一回日本ダービーを制したワカタカ号をはじめ、戦前には六頭ものダービー馬を輩出した。御料牧場が千葉から栃木に移る時、競走馬の生産は引き継がれなかったが、牧場内には優勝馬の当時の蹄鉄(ていてつ)やムチが額装され飾られており、往時をしのぶことができる。

 皇室は御料牧場で生産した馬の中から神馬(しんめ)を選び、国家安寧を祈って伊勢神宮に奉納する。東日本大震災から間もない二〇一一年六月、三カ月後に伊勢神宮内宮(ないくう)に奉納される神馬「空勇(そらいさむ)号」に別れを告げるため、天皇、皇后両陛下が皇居の厩舎を訪れた。

 両陛下は牧場に滞在されるたび、若駒たちの成長ぶりをほほ笑みながら見守っているという。この牧場で手がける馬の調教は、ゆっくり走る速足まで。二〜三歳になると皇居で実践的な調教を施される。

 口に着けるハミやクラなどの馬具に慣れたら、直径約十三メートルの円形の柵の中で周回運動をする。島寿はムチにうながされ、柵の中をぐるぐると回る。十分間も続けると、高くいななきを始めた。

 「疲れたとでも言っているのでしょう」と育馬係長の杉田知久さん(50)。調教は緒に就いたばかり。これからたくましくなっていく。

東日本大震災から3カ月がたった2011年6月、御料牧場で育ち、伊勢神宮の神馬になる「空勇号」と触れ合う天皇、皇后両陛下=皇居で

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牧場内に保管されている、戦前のダービー馬「トクマサ号」の蹄鉄とムチ=内山田正夫撮影

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