来年5月にスタートする裁判員制度を含め、司法制度改革が政治問題になりつつあります。裁判員制度への国民の参加意識が高まらず、与野党から制度の見直し論が後を絶ちません。司法制度改革はなぜ必要なのか。弁護士の四宮啓さんと一緒に考えてみました。記者・清水 孝幸
清水 裁判員制度は「日本の風土に合わない」などと評判が悪いですね。どうして必要なのですか。
四宮 日本の社会をより自由で、公正で責任ある社会に転換するためです。それには客観的なルールと検証が必要ですが、これまでの社会は行政官庁が仕切り、チェックする司法も専門家だけでやっていて、公正さや透明性に疑いが生じています。その改革が裁判員制度です。
同時に、プロ向きの司法制度を変える意味もあります。日本の刑事裁判の手続きを定めた刑事訴訟法は、裁判官がなるべく法廷で心証が採れるよう、証人がしゃべり、検察官や弁護士も口で説得し、集中的に審理することが予定されています。
ところが、専門家だけでやってきたため、効率を重視するようになり、紙(書類)の証拠が増えました。裁判官は多くの事件と証拠を抱えるようになり、争いのある事件は月一回ずつ、何年もかけて裁かれていました。
こんな国はどこにもありません。国民に入ってもらうことで、分かりやすくて透明性のある、公正で迅速な裁判に変えていく必要があります。
清水 裁判員制度は四年前、国会でほぼ全員が賛成し成立しましたが、いま、野党から「国民の理解が得られていない」、与党からも「第二の後期高齢者医療制度になるのでは」との声が聞こえます。
四宮 裁判員制度を含めた司法制度改革のプラスの面が置き去りにされ「負担」だけが強調されています。やめてしまったら、やっと始まった透明、公正で迅速な裁判の実現は遅れ、官僚である裁判官に判断を任せる制度が続くだけです。
四宮 客観的なルールに基づき、自由で、公正で、責任ある社会を目指す「法の支配」の実現を目的とした改革です。
法の支配には二つ意味があります。一つは個人の尊重。いま何かトラブルに巻き込まれても、司法の場には二割しか持ち込まれていないといわれている。トラブルがあれば、泣き寝入りせず法律で公正に解決する。それが個人の尊厳につながります。ただ、国民にとって今までの裁判は時間もカネもかかる。そこで使いやすくするため、法テラス(日本司法支援センター)をつくったり、裁判も迅速化させました。
四宮 国民主権という考え方です。社会のあり方を決めるのは国民で、裁判も例外ではないはず。主権者として、社会で起こったことの解決に、ひと肌脱いでほしいということです。私は「法を使う国民」という言葉に対し「法を担う国民」という言い方をします。これが裁判員制度です。
四宮 「法を使って、担って」と言っても、国民は「私たちは素人だから」と言うでしょう。そこで、国民をサポートする法律家を質、量とも充実させようと、教育機関として法科大学院をつくり、司法試験合格者の増員を進めています。
司法制度改革は、法制度整備と国民参加と法曹養成という三本柱が有機的に結びついたもので、一つ抜けても崩れます。
清水 柱の一つである法曹人口の拡大について、日弁連は質が低下しているとして、司法試験の合格者を二〇一〇年ごろに三千人程度に増やす政府目標のペースダウンを提言しています。
四宮 今度の改革は、法律家は裁判だけをするのでなく、企業のコンプライアンス(法令順守)を担当したり、NPO活動の法律的なサポートをしたりと、社会の至る所で仕事をすることによって、法の支配を広げていくという発想です。
確かに裁判官や検察官、弁護士への就職難はあるかもしれませんが、今まで全員が就職し、みんな高給を取っていたこと自体、異常です。
清水 町村信孝官房長官は日弁連の提言を「不見識」と批判しましたが、自民党内でも賛否は割れています。
四宮 それぞれの改革をバラバラに議論している気がします。政治家や法律家は改革がパッケージになっていることを忘れているのでは。
四宮 取り調べの録画など不十分な点は改めるべきですが、全体の仕組みそのものは理念を忘れず、遅れることなく、進めていくべきです。裁判員制度など司法制度改革を一度決めた政治の実行力に、世界が注目しています。
しのみや・さとる 1952年千葉県生まれ。早稲田大法学部卒。81年に弁護士登録。米カリフォルニア大バークレー校客員研究員、日弁連司法改革調査室長などを経て、2004年から早稲田大法科大学院教授。著書に「O・J・シンプソンはなぜ無罪になったか」「もしも裁判員に選ばれたら」(共著)など。
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