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【第92回全国高校野球選手権大会(2010)・茨城】

<熱球譜>帰ってきたエース 波崎柳川3年 安藤竜也投手

2010年7月27日

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 「このチームは何度も安藤に助けられた。最後は安藤で」。海老原洋法監督のこの思いに応えた。

 昨年の秋季県大会。決勝まで2完封を含む4完投勝利。強豪校相手にストレートで凡打の山を築いた。しかし、当時からあった右ひじの痛みは春季大会でピークに達した。1回戦で8点を取られ敗退。一カ月以上、投球練習できなかった。

 「夏に間に合うのか。いい時の自分に戻れるのか」。不安と焦りの中、やれることはやろうと毎朝、授業前に一時間半走った。

 だが、直球にキレは戻らず、背番号「1」は二年生の肥後勇輝投手に。4回戦で先発したが、三回途中で降板。それでも、「出番は来る」と信じて投球練習を繰り返した。

 出番は七回に来た。八回1死二、三塁。あと1点取られればコールド負けの場面でスクイズを外し、三塁走者をタッチアウトに。続く打者を右飛に抑えガッツポーズ。9カ月前に見せたエースの姿だった。

 「九回までみんなで野球ができた。やってきてよかった」。野球の神様は“エース”を見捨てなかった。 (堀尾法道)

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◆父の背中を追いかけ 水戸商3年 松井勇樹捕手

 六回、滑川将投手の投げた球は、左翼席に消えていった。甲子園の夢が消えた瞬間だった。

 「甲子園で4番を打った父に追いつきたい」。大会前、こう話した。

 父親は中日などに在籍した元プロ野球選手の達徳さん(45)。高校時代は学法石川(福島県)で地方大会3試合連続場外弾を放ち、名前をとどろかせた。

 幼稚園のころに現役を引退した父親のプロ野球選手としての記憶はほとんどない。小学生で父親がコーチを務める地元の野球チームに入った。中学時代、試合で打てずに帰宅すると、猛特訓が待っていた。

 高校一年の冬に初めて捕手になった。監督にしかられ続けて成長し、今大会はタイプの違う二人の投手をうまくリードし、常総学院など強豪を抑えた。

 試合後、「(父を)全然超えられなかった」と涙ながらに話し、大学でも野球を続けることを誓った。

 達徳さんはそんな息子に声を掛けることができなかった。「プロの息子ということでプレッシャーもあったはず。野球も精神的にも強くなった。よくやった」と目を赤くしていた。 (堀尾法道)

 

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