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2001年3月13日

全島避難の三宅島から救助された被災ネコたち 千葉の避難施設ルポ

一時里親募集中

 三宅島全島避難(昨年九月)から半年−。混乱の中で、島に置き去りにされた猫たちの一部が、ボランティアにより救出され、千葉県長生郡にある“シェルター(避難施設)”で暮らしているという。都獣医師会などに預けられた被災者のペットたちの養育費不足が問題となっているが、千葉の被災猫たちは今、どうしているのか。世話する人たちの思いは? 現地を訪れた。

 家の建っていない雑草だらけの造成地に、ぽつりと二階建ての民家が一軒。ここが現在三十三匹の被災猫たちが暮らす避難施設だ。約五十平方メートルに雄と雌の別々の部屋があり、病気の猫四匹は個別のおりに入っている。

 世話をしているのは、非営利団体(NPO)「アニマル・ライツ・センター」(ARC、事務局・東京・渋谷)の委託を受けた三坂健太郎さん(41)。姉が阪神大震災で被災後、飼い猫の世話に苦労したことから被災動物救済にかかわり始めた。

 三坂さんは昨年八月下旬から三宅島に入り、置き去りにされたペットの救出活動を全島避難後の九月十一日まで続け、三十数匹の猫を保護した。

 全島避難の際、ペットたちは、口輪をつけるか、おりに入れれば避難船に乗せることができた。三坂さんは避難前、村役場で口輪やおりを貸し出していることを島内放送で知らせてほしいと要望したが、大雨による混乱などで、放送回数が少なく、聞こえにくい場所もあって、島民に十分浸透しなかった。避難後、都内で「もっと早く知っていれば…」と残念がる島民も多かったという。

 そんな事情もあってか、置き去りにされた猫は百匹以上はいたとみられる。おりを借りても猫を捕まえられず、泣く泣くおりを返して避難船に乗った女性もいたという。

 三坂さんは、十月にも対策本部のある神津島に出向き、行政関係者らに無人の島から連れ出してもらった七匹を保護。どの猫も「火山性ガスで目やにと鼻水がひどく、骨と皮だけの体は泥だらけ」。うち一匹は、皮膚がんで、耳を失っていた。

 保護した計三十九匹の猫は動物病院で治療を受けたが、六匹が死んだ。

 保護したものの、直後は、部屋の隅に固まり、一週間もえさを食べない猫がいた。「環境が変わって、ストレスも大きかったと思う」と三坂さん。一方で、「飼い主が分からない猫は基本的に、都や都獣医師会などで預かってもらえない」ため、猫の避難場所探しも苦労した。

 多数飼うとなると、なかなか貸家もなく、ようやく長生郡の家を借りたが、改装費は四十万円近くにも。部屋の仕切りや寝床は、魚の焼き網やプラスチックの衣装ケースなどで手作りした。

 維持費も厳しい。ARCは一匹につき、一日三百円の補助金を出しているが、世話には家賃を含め最低月三十万円が必要。冬は風邪をひく猫が多く、医療費五、六万円もかさむ。三坂さんは蓄えを取り崩した。「一緒に世話をしてくれる仲間もほしい」。現在は三坂さんとARCの女性理事の二人だけ。世話に時間をとられ三坂さんは働くこともできない状態。

 三十三匹の飼い主も見つからない。これまでに問い合わせは「二、三件だけ」。実際に飼い主に引き取られた猫はまだいない。

 元気を取り戻した猫を見るたび、三坂さんは考える。「(三宅島では)放し飼い状態が多かったと思う。その猫たちから自由な部分を奪い、完全な都会の飼い猫にするには抵抗がある。ここはあくまでも一時避難所。最終的な目標は三宅島に返すこと」。

 しかし、帰島の見通しは立たず、長期化に伴う資金繰りを含め、難題が山積する。三坂さんは、今後は、島に返すことを前提とした「一時里親」として預かってくれる人を探したい、という。

 現在、三宅島の港だけでも対策本部の一部関係者に、えさをもらいに来る二十−三十匹の猫がいる。野生化すれば貴重な島の鳥類などを襲う恐れも指摘される。

 「島にはまだ、保護を必要とする猫がいるはず。ここで飼うのはもう限界だが、一匹でも多く保護したい」と三坂さんは語る。

 保護された猫の問い合わせは、三坂さん=電090(8639)3343=へ。

 文・古田秀陽

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