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【1999年11月 渡良瀬有情】

晩秋の里

撮影・文 堀内洋助


 「紅葉の小滝を歩く」フィ−ルドワ−ク(わたらせ川協会主催)が10月31日、足尾町小滝で37名の参加で行われた。足尾町文化財調査委員の長岡均さんの案内により、庚申川の渓谷沿いの小滝の里を歩いた。閑静な山間に広大な石垣が遺跡のように残っていた。足尾銅山が繁栄していた頃、12000人が暮らしていたという。今は住む人もなく、住居跡地は遅い紅葉に埋もれていた。

 小滝の歴史は明治19年4月に小滝坑が開坑されてから始まった。採鉱から製錬まで操業するが、明治30年に本山製錬所(後の足尾製錬所)に製錬を集中するため、小滝製錬所が廃止。その結果、亜硫酸ガスの煙害被害は少なくて自然は蘇り、町は発展した。社宅、病院、学校、旅館、芸者屋、呉服屋などが、豊かな森の中にあったのだ。小さな鉄道も走っていた。しかし、昭和29年に小滝坑が廃止されて、町は消滅していった。

 山奥に突然に生まれて消えていった小滝の里。当時の繁栄を物語る石垣に、日本一の銅山として日本の近代化に邁進した姿が忍ばれる。しかし、負の遺産として足尾鉱毒事件が発生した。小滝から舟石峠を越えて足尾製錬所周辺の山を見ると、緑の違いに愕然とする。たぶん荒涼とした松木沢の原風景は庚申川のように豊かな森だったのだろう。

 晩秋の小滝の里から私は、明治政府の強制破壊で滅亡した旧谷中村を訪れた。夜明け前、広大なアシ原の渡良瀬遊水地にある屋敷林が、幻想的な川霧に包まれていた。その横に豊かな自然を遮るかのように周囲をコンクリ−トで固めた巨大な貯水池・谷中湖があった。

 上流と下流の晩秋の里に、自然と人間の営みが作り出した悲しみの光景が広がっていた。

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