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【2000年12月 渡良瀬有情】

足尾を語る会

撮影・文 堀内洋助


 20世紀は残すところ半月余になった。今月1日現在、足尾町の人口は3,692人。最盛期の同町の人口は大正5年に38,428人を数え、約58,000人の宇都宮市に次いで県内二位だった。昭和48年2月の銅山閉山時は9,632人。平成元年以降、毎年100人ずつ減少している。

 過疎化が進む足尾だが、この町に魅せられた人たちが「足尾を語る会」を結成。先月11日、同町の植佐食堂で13人が集まり、年一回発行している足尾研究誌が10号を迎えたことを祝った。

 同会代表で作家の三浦佐久子さんは「歴史や文化はみんなが生きた証し。足尾には、まだまだ発掘されないものがたくさんある」と述べ、「50才前半に心臓神経症を患い、いつ死ぬかもしれない苦しい毎日だった。病気を治すために、何かに熱中しようという逆療法を試みた。夫が足尾高校の校長に赴任した友人を訪ねた時、足尾を取材して何か一冊にまとめようと思った。すべて未知なるものを知る喜びを一生懸命取り組んでいるうち、病も直っていた」と足尾との秘めたる出合いを語った。

 同会は1989年12月に発足。きっかけは、三浦佐久子さんが第三回地方出版文化功労賞を受賞した「壷中の天地を求めて」−足尾銅山・見捨てられたヤマの町に生きる人々−(1988年12月・下野新聞社発行)を読んだ人たちが、本人と電話で話し合う中で、足尾にこだわっている人らが自然と集まったからという。

 会を終え、私は会員の木村まつよさん宅に、三浦さんら4人と泊まった。木村さんは昨年7月全焼した「一丸旅館」の女将だった。旅館を廃業した跡地に今春、自宅を建てた。「シ−ズンを迎えると毎日、宿泊の電話が入るのよ」と語っていた。足尾銅山の繁栄と衰退を見続けて来た老舗旅館の女将は、81才を迎えても意気軒昂なのが嬉しかった。

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