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【2001年2月 渡良瀬有情】

雪の谷中村遺跡

撮影・文 堀内洋助


 今年の冬、渡良瀬遊水地に降った雪は、例年に比べて多かった。そのたびに雪のジュ−タンが、貴重な湿地に広がった。アシが焼失したために見られる珍しい光景だ。昨年12月19日に約300ヘクタール、1月17日に55ヘクタール、19日に3ヘクタールのアシ原が不審火で燃えた。燃え残ったアシの茎が、雪のジュ−タンに針を刺したかのように無数に点在し、異様であった。

 雪が降る谷中村遺跡を訪れた。遊水地の史跡保全ゾ−ンに、1907年、明治政府による強制破壊で廃村に追い込まれた谷中村が保存されている。足尾鉱毒を沈殿するために遊水地が造られ、犠牲になった村だ。

 広い駐車場には、大雪のため車はいなかった。アシ原の砂利道に積もった雪を踏み締め、延命橋を渡り、雷電神社跡に向かう。同神社は強制破壊された後も残り、田中正造が抵抗を続ける拠点とした所だ。今は標柱があるだけだが、小高い丘の上からは、谷中村の屋敷林跡が一望できる。

 同神社跡前に谷中村の共同墓地があり、一本のクヌギの木が、風雪の中に悠然として立っていた。幹と枝に雪を付着させた白い木に激しく心を揺さぶられた。撮りたいという衝動にかられ、数時間この木と向き合った。

 雪が止み、日が差してきた。木の前にある谷中村遺跡を守る会の掲示板から雪が落ちて、田中正造の版画の顔が現れた。鋭いまなざしで見つめている。

 今年は田中正造の天皇直訴から百年になる。1901年12月10日、貴族院から皇居に向かう明治天皇の馬車に正造は足尾銅山の操業停止を求めて直訴した。被害農民の救済に一生を捧げた正造を象徴する出来事だった。

 雪の谷中村遺跡は、首都圏の貴重な湿地になった遊水地の原点を語っていた。心をいやす雄大なアシ原の風景は、悲しい歴史の遺産を背負っているのだ。21世紀を生きる人らへ、環境保護の思想を訴えているように思った。

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