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【2003年3月 渡良瀬有情】

サケの放流

撮影・文 堀内洋助


 栃木県佐野、群馬県館林両市の「渡良瀬川にサケを放す会」(広瀬武代表)は先月23日、館林市大島町の渡良瀬川にサケの稚魚約2万匹を放流した。家族連れなど約300人の参加者は、自分で育てた体長5センチほどの稚魚を「元気に戻って来いよ」と声をかけながら見送った。

 サケはここから川を下り約154キロ先の太平洋に入り、3、4年後に60−70センチに成長して産卵のため生まれ育った川に戻って来るという。

 「足尾に緑を、渡良瀬に清流を」の願いで1982年2月に始まったこの放流事業は、今年で22回目になる。回帰したサケの第1号は1985年11月、足利市葉鹿町の同川で発見された。同会は記念の石碑を館林市の雲竜寺にある田中正造の墓前に建立。その後少しずつ成果が現れ、一昨年と3年前は30匹前後に増えた。

 昨年12月2日、足利市の渡良瀬川漁業協同組合が遡上(そじょう)したサケを102匹確認と発表した。おそらく数倍は回帰しているだろうという。また足利市の緑橋付近でサケが卵を産む産卵床が3カ所発見された。同会代表の広瀬武さんは「太平洋で成長し、産卵のために再び渡良瀬川に戻るという生態系の回復が夢では無くなった」と嬉しそうだった。

 昔の渡良瀬川は、魚が多く捕れ豊かな川だった。特に、アユ漁は江戸時代から盛んで、秋になるとサケが産卵のためにたくさん遡上していた。コイも多く、季節ごとに魚類が豊富だったという。

 しかし、明治に足尾鉱毒事件が起こり、鉱毒のため魚が大量に死に、それから以降、サケの姿は消えてしまった。鉱毒被害は農作物にも及び、渡良瀬川が死せる川になった悲しい歴史がある。

 サケの放流の撮影を終え、すぐ上流の「邑楽頭首工」の堰を訪れた。幅約2メートルの魚道があった。この急流を上るサケのすごさに思いをはせた。漁業関係者は「以前に比べて川はきれいになった」という。もう決して川を汚さず、サケが自然回帰する恵みの川に復活してほしいと思った。

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