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【2003年8月 渡良瀬有情】

夏の谷中村遺跡で

撮影・文 堀内洋助


 渡良瀬遊水地に先月{日、95年ぶりに帰ってきた旧谷中村の延命院の鐘の音が響き渡った。

 この日は谷中村遺跡を守る会(針谷不二男会長)主催で同遺跡の草刈りが行われ約20人が参加した。アシ原の中の共同墓地と雷電神社と延命院跡に茂る夏草を刈った。珍しいスズランが墓地の中央に20数株植えられていた。北海道佐呂間町に移住した旧谷中村の子孫が持ってきたのだろうか。足尾鉱毒事件の辛酸な歴史を語る同地を訪れる人は多い。

 午後、きれいになった延命院跡に藤岡町歴史民族資料館から延命院の鐘が持ち込まれた。同会の人らが交代で鐘を鳴らした。田中正造も聞いた鐘の音がアシ原に響いた。「谷中村の廃村の時、やむなく村を出る祖先の人たちの無念の思いが、伝わってくる。歴史の風化を取り戻してくれる」と針谷会長は鐘の音に聞き入っていた。

 この鐘は1907(明治40)年に足尾鉱毒の沈殿地を作るために国の強制破壊で廃村となったころ、雷電神社の御手洗池(みたらせいけ)に沈められたとされ、その後行方不明になっていた。

 1986年九月、郷土史家らの調べで埼玉県幸手市の火の見やぐらにあることがわかり、同会の石井信一さんが同やぐらに登り確認した。この鐘の発見者は幸手市消防団の野口博伸さんで、鐘に刻まれた「下野国下都賀郡下宮」の地名と寛保元(1741)年の年号を見つけて、郷土史家の小路精蔵さんに伝えた。消えゆく火の見やぐらの鐘が奇跡的に残っていた理由は「一番、鳴りの響きがいいからだろう」と針谷会長は語っていた。

 発見から16年後の昨年11月に藤岡町に返還され、95年ぶりに里帰りした延命院の鐘。谷中村の歴史が刻まれた貴重な財産は、いま同町歴史民族資料館に展示されている。今後は、延命院跡で、谷中村が藤岡村に合併され廃村となった1906年7月1日にちなみ毎年7月1日に鐘を鳴らしたいと同会は願っている。

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