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【2005年7月 渡良瀬有情】

足尾の夏

撮影・文 堀内洋助


番外編・心癒す夏景色

 都心から電車に乗って約1時間。栃木・群馬・茨城・埼玉の四県にまたがる渡良瀬遊水地の湿地帯がある。約3300ヘクタールで、JR山手線の内側の半分に相当する。夜明けごろ見られる川霧は有名で、訪れる人が多い。

 今は人の住まないアシ原だが、約100年前、約450世帯、約2500人が暮らす谷中村があった。足尾鉱毒事件が起き明治政府は鉱毒沈殿池を造るため、村をつぶし渡良瀬川の流れを変えた。

 悲しみの歴史を背負った1世紀の月日はここを首都圏に残された貴重な自然の宝庫にした。植物は約700種が確認され、絶滅危ぐ種が49種も。夏に咲くミズアオイの青紫の花は美しい。

 野鳥は二百数十種が記録され、いまはオオヨシキリ、カッコウ、サシバなど夏鳥が子育て中だ。8月には約十万羽のツバメのねぐらができる。野鳥や人に大切なアシ原を守るために市民団体は「国際的に重要な湿地を保全するラムサール条約の登録湿地指定を」国と自治体に訴えている。

 6月下旬、梅雨空のアシ原でアキアカネが大量に発生した。朝露の付いた葉にじっと止まる。暑い夏を近くの足尾山塊で過ごし、秋に”赤とんぼ”になり遊水地に戻って産卵する。上流と下流を結ぶ心癒すトンボだ。

 渡良瀬川の源流は栃木・群馬の県境に広がる足尾山塊の主峰、皇海山(2,144メートル)である。深田久弥氏の日本百名山の一座として知られ、夏の登山シーズンは多くの人でにぎわう。今は群馬県の不動沢から登ると東京から日帰りできる。

 原始林に囲まれたいい山であるが、約10キロ下流に荒涼とした松木渓谷が広がる。足尾銅山の製錬所から発生した亜硫酸ガスの煙害で緑が失われた山だ。地球環境保護を訴える山の叫び声が聞こえてくるような異彩である。公害の原点といわれる足尾を世界遺産にという声もある。

 渡良瀬川を撮影して15年になるが、夏は避暑を兼ねて足尾に行くことが多い。澄んだ空は美しい雲と満天の星を見せてくれる。足尾町の名水もいい。国道122号から粕尾峠に向かう県道の約1キロ先の右にわき出る。週末には多くの人が水を汲みに来る。自然再生のドラマにあふれるこの川に魅了される。

第28回目・足尾の山霧

 梅雨晴れの朝、渡良瀬川源流にある栃木県足尾町の松木渓谷が見渡せる山に登った。急峻ながれ場から望むと、荒涼とした谷間に湧いた山霧が雲海となって広がっていた。時々風に吹かれ、白い姿を変幻させる。眼下には足尾製錬所がかすんで見えた。

 この山霧は、昭和25年6月に撮影された「鉱煙襲来の状況」の一枚の写真に似ていた。「鉱煙は重いので、風のない日は山間にたちこめた。つうーんと鼻をつくいやなにおい。この煙が山の草や木を枯らしたのだ」(秋山智英著『森よ、よみがえれ』農山漁村文化協会)。鉱煙の亜硫酸ガスは昭和31年、足尾銅山に自熔製錬法の設備が完成するまで山を荒廃させた。

 山霧は日が昇ると、しだいに消えていき、渡良瀬川の流れが現れた。対岸の岩場に「キッキッ」と鳴くハヤブサ親子がいた。松木渓谷で近年見かけるようになった。獲物の野鳥が増えてきたのだろう。

第29回目・アマツバメ

 足尾の山が荒廃地になった人為的原因は、主に製錬所からの亜硫酸ガスによる煙害であるが、森林の乱伐や山火事の被害も甚大だった。

 森林は銅山の坑道の支柱木や製錬用燃料材や生活の薪炭として次々に伐採された。「1893(明治26)年までに伐採された森林総面積は6760町歩。足尾官林の半分近くが伐採された」(『森よ、よみがえれ』農文協)。

 1887(明治20)年の山火事(松木の大火)では中禅寺湖の広さとほぼ同じ約1100ヘクタールが焼失している。火事後の植物の自然回復力は鉱煙で阻害され森は滅亡した。

 辛酸な歴史を背負った渡良瀬川源流の山だが、いまはアマツバメが子育てで毎年、夏鳥として大群で訪れている。海岸や山地の急峻(きゅうしゅん)な岩壁で繁殖するため、足尾の山を気に入ったのだろう。夏空に終日群れ飛ぶ姿はいい。再生する自然のドラマに魅了される。

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