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【2006年1月 渡良瀬有情】

冬の色

撮影・文 堀内洋助


第48回目・冬の谷中村遺跡

 渡良瀬遊水地にある谷中村遺跡を訪ねた。冬ざれたアシ原の中に住居跡の木立と古道が今も残る。延命院跡の参道には村人の信仰の歴史を伝える「十九夜さま」と「庚申さま」の石塔が並ぶ。その先に小さな鐘があり、たたくと深い響きが村跡に広がった。

 今年7月1日に谷中村廃村百年を迎える。日本の公害の原点といわれる足尾銅山の鉱毒事件。国は鉱毒を沈殿するため遊水地をつくった。谷中村は1906(明治39)年藤岡町に合併され、450戸、2500人の住民は村を追われ全国に離散した。

 住民の子孫である針谷不二男さん(80)は「谷中村の遺跡を守る会」の会長を務める。11年余前、延命院跡に連絡ノートを設置。いま11冊目になる。「祖先の地に始めてきた。涙が止まりません」「公害のことを知ると共にとても素晴らしい景観に感動しました」など約1700人の思いが記されている。

第49回目・有明月と冬木立

 冬の夜明け、渡良瀬遊水地にある旧谷中村遺跡の冬木立から昇る有明月に出会った。薄明の東の空に、三日月と左右対称で細いまゆのように輝く。有明の空に見られるのでその名がある。地球から反射した光が月を照らす「地球照」という現象で、うっすらと丸い輪郭も望めた。

 冬木立は「水塚」と呼ばれる小高い丘の上にあった。百年前、この丘の上には住居があり、村人の営みがあった。谷中村は五穀豊穣(ほうじょう)の地として栄えていた。当時の村人も同じ月を見ていたであろうか。辛酸な歴史を背負った遊水地で見る有明月は心に残る情景だった。

 今月の満月は14日だったが、久しぶりの雨で見れなかった。16日の月の出は午後6時29分で、これから毎日1時間ほど遅くなる。有明月は今月27日と2月26日前後がいい。特に朝焼けのころに月の高さが低い2月が見ごろである。

第50回目・越冬するニホンジカ

 二十四節気の一つ大寒の20日、渡良瀬川源流の足尾町を訪れた。早朝の気温は氷点下8度で凍てつく寒さだった。標高の高い社山や大平山の稜線は雪で真っ白。しかし、市街地には雪はなく、足尾ダム上流で14日に降った雪が残る程度。宇都宮地方気象台によると昨年12月の降水量は5日間で27ミリ、今月は3日間で27ミリと少ない。

 この日は松木沢を歩いた。足尾ダムから松木川沿いに約2キロ行くと、広々とした草地がある。ニホンジカの大きな群れが各所で見られた。約百頭近い。珍しい雄ジカの群れも。冬になると、この周辺はニホンジカが増える。雪の山から、餌を求めて越冬に降りてくるのだ。大雪のためか、今年は多いように思う。

 足尾の山の緑化工事で使った大量の牧草がニホンジカの餌となった。冬季の主食のミヤコザサが積雪で食べられないのだ。雪の少ない松木沢は絶好の越冬地となった。

第51回目・シカの食害防止ネット

 ニホンジカの生息数が増え、冬の栃木県足尾町では食害が深刻化している。足尾製錬所の煙害などで荒廃した山に緑をよみがえらそうと、植えた木の樹皮がシカに食べられてしまうのだ。樹皮がなくなると栄養分の通り道を失い、木は枯れてしまう。

 同県北西部から群馬県北東部にかけての地域にシカの「日光・利根地域個体群」が生息する。栃木県の平成12年度生息数調査では約6300頭を確認。同7年度の約4900頭から約3割も増加した。特に足尾は越冬地になり、冬期の生息密度は高いという。

 松木沢でこの冬、植樹した苗木を囲ったシカの食害防止ネットを撮影した。荒涼とした草地に千本近く林立する光景は異彩を放っていた。ネットの中にある木はシラカバやヤシャブシ、ヤマザクラなど。突然、雄ジカが現れ「ピュッ」と鋭い警戒音を発した。渡良瀬川源流の冬景色を象徴する瞬間だった。

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