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【2007年3月 渡良瀬有情】

遙かなる渡良瀬

撮影・文 堀内洋助


 1997年4月にホームページの「続・渡良瀬有情」がスタートして、10年目を迎えました。04年11月に「渡良瀬の色」に題名を変更し、とうとう今月で最終回です。渡良瀬川の自然と人間の営みに魅了されて17年。月日の流れの早さを実感します。

 この川との出会いは、1991年4月から東京新聞に一年間連載されたフォトエッセー「渡良瀬有情」の取材班として撮影したのが始まりでした。文章は、作家の立松和平さんが担当し、多くの感動を与えてくれたのです。公害の原点・足尾の山やアシ原の開発で揺れる渡良瀬遊水地に立つと、自然の息吹に激しく心を打たれました。ニュース取材の仕事に追われる新聞カメラマンとして大きな衝撃でした。じっくり自然環境を見つめたいと思ったのです。またこの連載が1992年度日本新聞協会賞(報道写真部門)を受賞したのも励みになりました。

 取材メモを見ると、渡良瀬に年間約50日訪れています。17年間で850日になります。35歳から52歳まで、新聞カメラマンとして、一番働き盛りに通い続けられたことが幸せでした。ほとんど休みを利用しての取材でした。この間、東京新聞の長期連載「富士異彩」(1995年度日本新聞協会賞)、「海回廊を行く」(2001年度東京写真記者協会企画部門賞)の取材班を担当しました。

 また5年間、東京中日スポーツの写真デスクを命じられ、プロ野球、サッカーなどスポーツ取材に従事しました。リレハンメル冬季五輪や大リーグ野茂英雄選手、W杯予選などで海外に長期出張もありました。阪神大震災やサリン事件でも長期出張です。出張先で仕事に疲れたとき脳裏に浮かぶのは、渡良瀬の風景でした。この仕事を終えたら渡良瀬に行けるという思いが、取材の修羅場で元気を与えてくれたのです。

 私のわがままで、家族には迷惑をかけたと思います。休みは渡良瀬に出かけるのですから。子ども2人の行き先はいつも渡良瀬です。「また渡良瀬なの」と愚痴も出ました。今は大学生になり、渡良瀬には付いてきてくれませんが。

 17年間、私が渡良瀬に通い続けられたのは、豊かな自然環境のおかげでした。広大なアシ原の四季の移ろいの風景や多くの野鳥や昆虫、植物の営みに感動し、心を癒されたのです。特に渡良瀬遊水地は日本に残された素晴らしい湿地です。「美しい日本」を象徴する自然環境で、未来の子どもらに伝えたい財産だと思います。ラムサール条約の登録湿地を実現し、国は豊かな自然環境を守ってほしいと考えます。

 最後になりましたが、取材先でお世話になった多くの皆さま、このホームページを制作して頂いた東京新聞の田島力さん、杉山期さんに心から感謝を申し上げます。連載は終了しますが、渡良瀬の取材は今後も続けていく所存です。ホームページをご高覧頂いた皆さま、本当にありがとうございました。

 

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