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【名建築を訪ねる】

戦車も往来した頑丈な橋 めがね橋(旧長尾橋)(千葉県南房総市)

2008年7月9日

絵・押元一敏

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 一八八八(明治二十一)年三月、房総半島の最南端にある千葉県南房総市白浜町の長尾川に、一本の橋が架かった。石積み工法で造られた珍しい橋で、三つのアーチが川面に映えて眼鏡のように見える。この「長尾橋」は「めがね橋」の愛称で親しまれ、一九八九年に県指定有形文化財に登録された際、この愛称が正式名称になった。

 橋は延長二八・三メートル、幅は四メートル。支柱から支柱の間(径間)は七メートルで、アーチを三つ連ね、両岸に石積みの橋台を備える。洋式アーチ橋技術の系譜を伝える全国的にも貴重な文化財で、九一年には「日本の名橋百選」にも選ばれた。関東大震災や大洪水にも耐え抜いた頑丈な橋は、補修を繰り返して当初の構造を保っている。

 長尾村誌によると、橋は村民の三百九十九円四十銭の寄付で造られた。当時なら六十キロの米俵が三百俵近く買えた計算だ。この橋が完成するまで、村民は徒歩で川を渡っていた。橋の西側に長尾村役場、東側に茶店など村の中心部があったというから、地元は橋の完成を待ち望んでいたことだろう。

 長い歴史がある橋だけに、さまざまなエピソードが残されている。「放浪記」で知られる作家林芙美子(一九〇三−五一)は、「房州白濱海岸」という紀行文の中で、このめがね橋を「支那(しな)(中国)風な眼鏡橋」と描写した。太平洋戦争の時代には、東京湾の入り口を防備するため、近くの学校に旧日本軍が駐屯し、橋上を戦車が往来したという。

 めがね橋は今年で満百二十歳を迎えた。こけむした柱や、ツタがはう壁面が年月の重みを感じさせる。下流に鉄筋コンクリートの立派な橋ができたため、今は車の通行が禁じられている。しかし、実用的な橋として、まだまだ現役だ。雨の中、橋を渡っていた鈴木敏子さん(83)は「夜はこの橋を使って地区の集会場に行きます。車が通らないから安心なの」と説明する。「郵便局で働いていたころ、戦車が通るのを見ました。当時は米軍が上陸するんじゃないかと、すごく怖かったことを覚えています」と話し、懐かしそうに振り返った。

 めがね橋は今や地域のシンボル的な存在だ。地元住民がクリスマスに電飾を施したり、端午の節句にこいのぼりを飾ったりし、まちおこしに活用している。市教育委員会の福原正人副主査(37)は「子どものころ、橋の下でウグイやアユを釣っていました。愛着がある橋なので、いつまでも残ってほしいですね」と目を細めた。 (岡村淳司)

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修復工事で橋銘にも苦心

 地域が誇る文化財を次代に残そうと、白浜町(現南房総市)は県の補助を受け、1993年から大規模な修復工事を実施した。総事業費約7000万円、完成に2年を費やした。

 修復は古い写真などを参考に進められた。石を解体して組み直したり、金属の手すりを復元し、より初期の形に近づけた。

 現場にあった袖柱は上部が欠損し、橋銘の最初の文字が下3分の1しか残っていなかった。それに合う字を辞典で探したが見つからず、やむなく「眺」の字を当てたという。西岸の袖柱にある「眺尾橋」の銘から、修復時の苦労がうかがえる。

 JR内房線館山駅から豊房経由安房白浜行きバスで30分の「長尾橋」で下車、徒歩1分。車なら野島埼灯台から5分。白浜観光案内所=(電)0470(38)4412。

 

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