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【東京通】

<地名編>万願寺(日野市) 名前あれど『所見ナシ』

2008年9月15日

田村氏の住居だったという説もある田村山安養寺=日野市万願寺4で

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 日野市東部。多摩川と浅川の合流地点付近に「万願寺」地区は広がっている。その名の通り、万願寺という寺がありそうなものだが…、そんな寺はない。代わりに「安養寺」という寺が立っている。

 謎めいた万願寺地区で目立つのは、下田つつじ公園、下田子ども公園、日野下田郵便局などと、「下田」がつく施設・場所が多いことだ。

 下田という地名は一九九五年、市が区画整理事業を行うまでは実は残っていた。そして旧下田地区から西へ一キロほど行くと、今度は「上田(かみだ)」地区が今もある。この下田と上田の由来をたどると、平安時代までさかのぼる。

 当時、貴族などを除いて庶民に明確な身分の差はなかった。しかし、争い事が起こったときに自分たちの領土を守るため、武士団が形成された。この地域には七つの団があり、その一つを地元有力者の「田村」一族が率いていた。田村一族については詳しい記録がほとんど残っていないが、安養寺は正式には「田村山極楽院安養寺」といい、田村氏の住居だったという説がある。

 また、日野市史には、上田、下田の“田”は田村氏から取ったものと記されている。境目ははっきりしないが京都に近い西側が「上」、東側が「下」ということから二つの地名がついたという。

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 日野市史は、謎の万願寺について、本当は存在したのではないかとも記しているものの、遺跡などは一切見つかっていない。一八二八(文政十一)年に著された「新編武蔵風土記稿」には「万願寺ノ名ハ古キモノニモイマタ所見ナシ」と記されており、当時からすでに万願寺がなかったことに関心が持たれていたと分かる。名前の由来を同書は「考フルニヨシナシ」と記し、結局分からない。

 下田、上田の歴史の深さに万願寺の謎−。この地域には歴史ミステリーが眠っている。 (西川正志)

 

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