森友文書改ざん 自殺職員の絶望 「あかんことやらされた」

2020年5月25日 02時00分

赤木俊夫さんが愛用していた書道の道具や手帳、名刺を前に思いを語る雅子さん

 同じ岡山県の出身。出会って二回目にプロポーズされて結婚した。大きな声でよく笑い、明るく物知りで、とにかく優しかった。コンサートでも落語でもチケットを必ず二枚買うので、毎週末、連れ回され、気付くと、私も落語も美術館も大好きに。楽しむ夫を見ているのが幸せで、よく笑われるが、趣味は「赤木俊夫」だった。
 彼の顔から笑顔が消えたのは、一七年二月二十六日、佐川宣寿(のぶひさ)元理財局長らの指示で近畿財務局職員が大量に日曜日に呼び出され、上司に改ざんを命じられた日から。直後の旅行では、よく笑う夫が全く笑わなくなった。
 「内閣が吹っ飛ぶようなことをさせられた」「やったらあかんことをやらされた」
 改ざんは打ち明けてくれなかったが、日に日に表情は暗く、口数も減った。数カ月後、早期退職制度で辞めようと上司に相談したが「無理だ」と断られたと聞いた。あの時に辞められたら、夫はその後も苦しみ死ぬ必要はなかったのではないか。
 夏の異動がなく落ち込みは悪化、うつ病を発症した。家の上を飛ぶヘリの音を聞くと、窓の端から隠れて見るように。相談した産業医には「詐病では」などと責められ、傷ついた。
 「検察が追ってくる」「最後は全て自分のせいにされる」。妄想や恐怖を口走り、昼夜問わず泣き、体をかきむしりたたくなど、自傷行為を繰り返した。
 一八年三月二日、新聞一面に改ざんが報道されると「ちくしょう。もう死ぬ」と山にこもり、翌日は「近所の人に裁判にかけられる」と暴れ、否定する私に馬乗りになってきた。
 自殺した直後の五月、夢に何度か夫が現れた。「大事なものを置いてきた」と言っていた財務省でさがし物をする姿。もう一つは「俺は元気だよ。死ななくてもよかったのになぁ」と、屈託なく笑う姿だった。
     ◇
 「自分の体の半分がもぎ取られたような喪失感が今も続く」と雅子さん。「どんな状況でも生きていてほしかった。いつか元気になり、かつてのように太陽のような笑顔を見せてほしかった。どうしてあげればよかったのか。今も答えが見つからない」
 財務省や近畿財務局幹部たちの真実にふたをし、見て見ぬふりの心ない言動に何度も傷つき、提訴を考えるようになった。一七年二月十七日、「私や妻が関わっていれば、総理大臣も国会議員も辞める」との首相の答弁がなければ、佐川氏が改ざんを指示し、夫が自殺に追い込まれることはなかった、との思いが込み上げる。
 「首相夫妻には、とっちゃん(俊夫さん)の墓前で手を合わせてほしい」。静かにつぶやいた。

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