小津映画の名子役、菅原秀雄さん亡くなっていた 娘が生涯語る

2020年7月11日 14時00分
 戦前に小津安二郎監督作品などに出演し「名子役」といわれた俳優菅原秀雄さんは、1940年の映画出演を最後に表舞台から姿を消した。消息不明とされていたが、戦後に東京都内で家庭を築き、2005年に83歳で他界していたことを、長女の野村久枝さん(70)=埼玉県越谷市=が本紙の取材に明かした。「父の物語に幕を下ろしたかった」と、亡父に思いをはせる。(西川正志)

◆消息不明と言われ…

少年期の菅原秀雄さん=野村久枝さん提供


 「父はひょうきん者で、倒れるまで人生を楽しみました」。野村さんによると、菅原さんは1921年生まれで、正確な出生地は聞いていないという。5、6歳で子役デビューし、32年、小津監督の傑作とされ同年のキネマ旬報ベスト・テン1位に輝いた「大人の見る繪本(えほん) 生れてはみたけれど」に出演。厳格な父が上司にへりくだっているのを知って幻滅しつつも、家族を養うサラリーマンの悲哀を受け止める兄弟の兄役を好演した。
 その後も俳優として活躍したが、40年2月の映画出演以降の状況ははっきりせず、映画雑誌やインターネットでは「消息不明」という記載が目立つ。「大人の見る繪本―」を取り上げた4月17日の東京新聞夕刊にも同様の記述があり、これを読んだ野村さんから、「『消息不明』との記載に寂しい思いをしてきた。せめて消息のみは知っていただきたい」と本紙に連絡があった。

◆従軍、大恋愛、闘病…

長女の野村久枝さん(左)と写る壮年期の菅原秀雄さん


 野村さんによると、菅原さんは戦争に召集され、ベトナム・ハノイに赴いた。復員後は東京に戻り、鉄工関係の会社に就職。俳優時代のファンだった女性の妹(故人)と知り合い、駆け落ち寸前の大恋愛の末、48年に結婚。新宿区に居を構え、49年に野村さん、翌年に長男が誕生した。
 俳優時代の知人との交流は続き、「歌う映画スター」といわれた俳優高田浩吉さんが野村さんの誕生祝いに産着を贈ってくれた。菅原さん自身は「子役は大人になると売れない」と当時の話はあまりせず、俳優への未練も見せなかったという。
 野村さんが小学生の頃、菅原さんは都内の美術館であった「大人の見る繪本―」の上映会に連れて行ってくれた。スクリーンに映る少年が自分だとは言わず、懐かしむように鑑賞していたという。「父に子役時代の面影が強く残っていて、不思議な感覚だった」と野村さんは笑う。

菅原秀雄さんと自身が写った写真を手にする長女の野村久枝さん

 周囲を楽しませることが好きだった菅原さんは友人も多く、飲みに行けば友人らの飲み代も全部支払う豪放磊落な性分だった。74歳で脳梗塞を患い、入院した時は100人以上から見舞金が届いた。9年間の闘病の末、83歳で死去。入院中に野村さんが差し入れた、「大人の見る繪本―」の写真が表紙の古いキネマ旬報を、最期まで大切に枕元に置いていたという。

◆映画ファンの心に

 「父が消息不明とされ、中途半端な感じがずっとしていた。父の半生を知るのは私たち姉弟だけ。生きた証しを残したかった」と野村さん。「『大人の見る繪本―』は心に残る作品。出演した父も映画ファンの心に残り続けてほしい」と願っている。

 小津監督作品を研究する同志社女子大の宮本明子助教の話 「大人の見る繪本-」は初期の代表作。子ども同士のいじめや上司と部下の上下関係など世の中の不条理を子どもの目を通して描き、世界的にも評価が高い。菅原さんが演じた兄役は作品の中で唯一、いじめっ子や大人に立ち向かっており、悲哀やユーモアを鮮明に描くための重要な役どころ。菅原さんは自然に演じきっており、見事だ。どんな時代でも見た人が自分の経験と重ね合わせられる作品で、今も楽しめる普遍性がある。

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